譚 廷襄(たん ていじょう、Tán Tíngxiāng、? ‐ 1870年)は、末の官僚。字は竹厓浙江省山陰県出身。

1833年進士となり、庶吉士に選ばれた。刑部主事、郎中、保定知府、刑部侍郎などを歴任した。1856年に陝西巡撫となり、さらに直隷総督代理に昇進した。しかしこのときはアロー戦争の最中で、1858年にイギリス・フランス軍により天津大沽砲台を占領されたため、弾劾され免職となった。1859年、陝西巡撫として復帰し、1861年、山東巡撫となり、捻軍と結んだ幅軍長槍会白蓮教の鎮圧にあたった。1862年には東河総督となり、1864年に刑部侍郎に異動、さらに工部侍郎、戸部侍郎に異動となった。1867年、刑部尚書に昇進した。死後、端恪の諡号を贈られた。

出典 編集

先代
呉振棫
陝西巡撫
1856
次代
曽望顔
先代
桂良(グイリャン)
直隷総督
1856-1858
次代
慶祺(キンキ)
先代
曽望顔
陝西巡撫
1859-1861
次代
鄧爾恒
先代
文煜(ウェンユ)
山東巡撫
1861-1862
次代
閻敬銘
先代
黄賛湯
河道総督
1862-1864
次代
鄭敦謹
先代
汪元方
都察院漢左都御史
1867
次代
鄭敦謹
先代
斉承彦
刑部漢尚書
1867-1870
次代
鄭敦謹