豊田 善一(とよだ ぜんいち 1924年大正13年〉1月2日2004年平成16年〉11月1日)は、日本の実業家

概要 編集

1924年、出生。明治大学卒業後、野村證券に入社し、田淵節也会長と2人3脚で事業法人を立ち上げるなどして、ガリバーと言われた野村證券を築き上げた。

野村證券の副社長時代には、次期社長と思われたが、大蔵省から反対意見が入ったことなどもあり、系列の国際証券に転じ、社長、会長を歴任した。

後にKOBE証券会長も務めるなど、常に証券営業のトップで活躍し、証券業界を代表する人物の一人とも言われた。

1988年、藍綬褒章を受章。

2004年11月1日、肺炎のため死去[1]。80歳没。

参考文献 編集

  • 「財界」編集部『経営の王道―リーダー、トップは「証券営業の神様」豊田善一に学べ!』(2001 財界研究所)

脚注 編集