豊田市立童子山小学校
愛知県豊田市にある小学校
豊田市立童子山小学校(とよたしりつ どうじやましょうがっこう)は、愛知県豊田市御幸町一丁目にある公立小学校。
豊田市立童子山小学校 | |
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北緯35度04分29.1秒 東経137度08分52.7秒 / 北緯35.074750度 東経137.147972度座標: 北緯35度04分29.1秒 東経137度08分52.7秒 / 北緯35.074750度 東経137.147972度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 豊田市 |
設立年月日 | 1887年5月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 前後期制 |
学校コード | B123210005277 |
所在地 | 〒471-0852 |
愛知県豊田市御幸町一丁目60 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集1872年(明治5年)には挙母郷学校(後の豊田市立挙母小学校)が設立されているが、1887年(明治20年)5月に本校が西加茂郡立高等小学校として開校した際には、西加茂郡一円を学区としていた。
1992年(平成4年)4月、豊田市美術館の建設に伴い、現在地に移転した。ワークスペースやランチルームなどの開放的な施設が特徴であり、豊田市都市景観賞を受賞している。
2018年度の学級数は23学級、児童数は626人、職員数は57人。
新型コロナウイルス拡大にかかる緊急事態宣言の解除に伴い、豊田市は2020年(令和2年)5月25日から小中学校の登校を再開[1]。感染防止と熱中症対策の両立が懸案事項として挙がるが、童子山小学校では「傘をさして登下校する」という案がまとまる。5月27日から実施されると、他に例がなかったことから、全国紙に「感染防止に有効な他人との距離が自然に確保できるうえ、暑さから身を守る熱中症対策にもつながる一石二鳥のアイデア」として取り上げられた[2]。
沿革
編集- 1887年(明治20年)5月 - 西加茂郡立高等小学校として創設される。
- 1893年(明治25年)6月 - 挙母町外四ケ村組合立挙母高等小学校と改称する。
- 1907年(明治40年)2月 - 挙母町立挙母高等小学校と改称する。
- 1908年(明治41年)3月 - 挙母尋常高等小学校と改称する。
- 1940年(昭和15年)4月 - 挙母中央尋常高等小学校と改称する。
- 1941年(昭和16年)4月 - 挙母町中央国民学校と改称する。
- 1947年(昭和22年)4月 - 挙母町立中央小学校と改称する。
- 1949年(昭和24年)4月 - 挙母町立中小学校と改称する。
- 1951年(昭和26年)3月 - 挙母市立中小学校と改称する。
- 1959年(昭和34年)1月 - 豊田市立童子山小学校と改称する。
- 1992年(平成4年)7月 - 旧校地に豊田市美術館を開館させるため、御幸町に移転。
挙母市から豊田市に移行する際の名称の変遷
編集- 小学校
- 挙母市立東小学校 → 豊田市立挙母小学校
- 挙母市立南小学校 → 豊田市立根川小学校
- 挙母市立西小学校 → 豊田市立小清水小学校
- 挙母市立中小学校 → 豊田市立童子山小学校
- 挙母市立前山小学校 → 豊田市立前山小学校
- 挙母市立山之手小学校 → 豊田市立山之手小学校
- 中学校
- 挙母市立東部中学校 → 豊田市立崇化館中学校
- 挙母市立西部中学校 → 豊田市立朝日丘中学校
- 挙母市立南部中学校 → 豊田市立豊南中学校
著名な卒業生
編集参考文献
編集- 愛知県小中学校長会 編『新学制実施五十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、1998年3月1日。