豊田芙雄像(茨城県立水戸第二高等学校前)
1992年(平成4年)3月に豊田の功績を讃えて建立された[1]

豊田 芙雄(とよだ ふゆ、弘化2年10月21日1845年11月20日) - 昭和16年(1941年12月1日)は、女子教育家である。女子高等教育の先駆者、日本の幼稚園教育の開拓者などともいわれ、日本の女子教育界発展に大きく貢献したほか、日本の保母第1号とされる[2][3]藤田東湖の姪、豊田香窓の妻[4]。幼名は冬[1]、冬子。のち芙雄と改めたが、後年は芙雄子と署名することが多かった。

生涯編集

水戸藩郡奉行桑原信毅の次女として、常陸国水戸城下藤坂町(現・茨城県水戸市五軒町)に出生[1]。母は藤田東湖の妹の雪子[4]。幼少時から学問を好み、薙刀術穴沢流の伝授も受けた。文久2年(1862年)、豊田天功の子・小太郎(豊田香窓)と結婚した[3]。しかし、慶応2年(1866年)に香窓は暗殺され、生涯、再婚をすることもなかった。そのため芙雄には子ができず、天功の孫の伴を養子とした[3]

明治8年(1875年)に上京して、新設された東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の読書教員となり[3]、翌明治9年(1876年)に四等訓導兼副舎監となった。同年10月、同附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)が開設されるとその保母に任命され、日本の保母第1号(官立幼稚園の保母第1号)となった[2][3]。同園には松野クララがおり、松野からドイツの幼稚園について学んだ[1]。明治12年(1879年)、県令岩村通俊の招きで鹿児島県に渡り、県立幼稚園の創設に尽力した[1]。鹿児島では西郷隆盛が尊敬した藤田東湖の姪として歓迎され、「女神様」と呼ばれた[4]

明治20年(1887年)、水戸徳川侯爵夫妻に同行してヨーロッパに渡り、文部省から依託されて女子教育を学んだ[3]。帰国後、明治27年(1894年)に寄宿制の翠芳学舎を開くも1年で閉校し、明治28年(1895年)に栃木県高等女学校(現・栃木県立宇都宮女子高等学校)で女子教育に従事し[4]、明治34年(1901年)、前年に新設された水戸高等女学校(現在の茨城県立水戸第二高等学校)に着任、明治36年(1903年)からは水戸女子師範学校(現・茨城大学教育学部)の教諭を兼任して国語漢文科の教員免状を受けた[3]大正11年(1922年)に水戸高等女学校を退職[3]すると、私立好文女学校講師や大成女学校(現在の大成女子高等学校)校長などを務めた。「女が女の特性を発揮させ、良妻賢母になるために高等教育が必要」であると説いて、日本の女子高等教育の開拓・発展に大きく貢献した[2]

年譜編集

  • 1845年 水戸に生まれる[3]
  • 1862年 豊田香窓と結婚する[3]
  • 1866年 豊田香窓、暗殺される[3]
  • 1875年 東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の読書教員となる[3]
  • 1876年 四等訓導兼副舎監となる。日本の保母第1号となる[3]
  • 1887年 ヨーロッパに留学する(約3年間)。
  • 1901年 水戸高等女学校(現在の茨城県立水戸第二高等学校)[3]、女子師範学校の教諭となる。
  • 1922年 水戸高等女学校を退職する[3]
  • 1941年 永眠[3]。享年97。

著書編集

  • 『女子家庭訓』(編著)

その他編集

  • 1925年12月17日 新聞『いはらき』が、3ページ全面の特別印刷芙雄子号を発行して、芙雄の功績をたたえた。
  • 1976年11月 保母生誕百年記念『茨城保育まつり』が水戸市で開催されたとき、日本最初の保母としてその事跡が顕彰された。
  • 芙雄の書き残した文書や愛用の九谷焼の茶碗は、ひ孫の高橋清賀子が継承している[4]。高橋は3歳まで芙雄と一緒に生活し、後に幼児教育研究家となった[4]

関連項目編集

出典編集

  • 茨城新聞社編 『茨城県大百科事典』 茨城新聞社、1981年、782-783頁。
[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 豊田芙雄 幼児・女子教育の先覚 水戸市”. いばらき文化情報ネット. 茨城県庁県民生活環境部生活文化課 (2018年10月). 2020年2月25日閲覧。
  2. ^ a b c 輝く茨城の先人たち 豊田 芙雄(子)”. 茨城県生活環境部生活文化課. 2017年9月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 武智ゆり「日本初の幼稚園保姆 豊田芙雄 - 女子教育機関で後進の育成も」『近代日本の創造史』第7巻、近代日本の創造史懇話会、2009年、 17-24頁、 doi:10.11349/rcmcjs.7.17
  4. ^ a b c d e f びよんど33号”. 水戸市市長公室男女平等参画課 (2013年3月). 2020年2月25日閲覧。

外部リンク編集