象印タフボーイズ(ぞうじるし タフボーイズ、英語表記:Zojirushi TUFF BOYZ[1])は、大阪府大東市を本拠地に活動していた象印マホービンの実業団男子バレーボールチームである[2]

象印タフボーイズ
原語表記 象印タフボーイズ
ホームタウン 大阪府
創設年 1961年
廃部年 1998年
チーム所在地 大阪府大東市
体育館所在地 大阪府大東市

概要 編集

1961年に、市川博邦取締役(当時)の肝煎りで9人制のチームとして創部された。当初は学生時代の経験者数名でスタートしたが、全国大会大阪代表となるまでに力をつけた。

1982年に6人制に移行し、1984年に近畿総合バレーボール選手権大会で優勝。日本リーグ入りを目指すべく、新日鐵元監督の藤川武巳を監督に迎え更に強化を図った。1986年の地域リーグプレーオフで準優勝を遂げ、同年3月の実業団リーグ入替戦で朝日生命を破り、実業団リーグ入りを決めた。

1990年の第21回実業団リーグで初優勝し念願の日本リーグ入りを決めたが、2シーズンで入替戦で敗れ再び実業団リーグに転落した。チーム名は当初は社名そのままに「象印マホービン」であったが、会社のCIおよび日本リーグ昇格を機に当時発売されていたステンレス水筒の商品名「タフボーイ」から命名された「象印タフボーイズ」としている。

1994年6月、日本の実業団初となる外国人プロ契約選手として、ヒュー・マッカーチョンと契約している[3]

1998年の第29回実業団リーグにおいて開幕12連勝を飾ったが、張翔(中国人選手)の契約問題に関し日本バレーボール協会から同選手が出場した開幕2試合を棄権試合と裁定され、結局10勝2敗2棄権となり再昇格を逸した。象印マホービンは「今後もVリーグへの昇格が難しい」として、タフボーイズを廃部とした[4]

成績 編集

主な成績 編集

実業団リーグ
  • 優勝 1回(1990年)
  • 準優勝 2回(1989年、1996年)
地域リーグ(プレーオフ)
  • 準優勝 1回(1986年)

年度別成績 編集

大会名 順位 参加チーム数 試合数 勝率
実業団リーグ 第18回 (1986/87) 6位 8チーム 14 5 9 0.357
第19回 (1987/88) 3位 8チーム 14 10 4 0.714
第20回 (1988/89) 準優勝 8チーム 14 12 2 0.857
第21回 (1989/90) 優勝 8チーム 14 13 1 0.929
日本リーグ 第24回 (1990/91) 6位 8チーム 14 6 8 0.429
第25回 (1991/92) 7位 8チーム 14 3 11 0.214
実業団リーグ 第24回 (1992/93) 3位 8チーム 14 8 6 0.571
第25回 (1993/94) 5位 8チーム 14 5 9 0.357
第26回 (1994/95) 4位 7チーム 12 7 5 0.583
第27回 (1995/96) 準優勝 8チーム 14 11 3 0.786
第28回 (1996/97) 5位 8チーム 14 8 6 0.571
第29回 (1997/98) 4位 8チーム 14 10 2(2棄権) 0.714

在籍していた主な選手 編集

脚注 編集

  1. ^ 月刊バレーボール1992年2月号臨時増刊 '92チームの顔 59ページのロゴマークより
  2. ^ 同社社史に女子バレーボール部の写真が掲載されており、女子バレー部も存在したことが確認できる。
  3. ^ 朝日新聞 1994年6月30日朝刊 24面
  4. ^ バレーボールマガジン(オフィス美輪刊) 1998年6月号 54ページ

参考文献 編集

  • 象印マホービン70年史 発行:象印マホービン(株)、編集:象印マホービン(株)七〇年史編集委員会、1989年6月30日発行。

関連項目 編集

外部リンク 編集