賀茂 田守(かも の たもり、生没年不詳)は、奈良時代貴族氏姓賀茂朝臣のち高賀茂朝臣。右兵衛率賀茂虫麻呂の子。官位従五位下播磨守

経歴 編集

天平宝字8年(764年藤原仲麻呂の乱における功労により従六位下より四階昇進して従五位下叙爵する。同年11月に兄の法臣円興とともに以下を言上して高鴨神(高鴨阿治須岐託彦根命)を本拠の大和国葛上郡へ祀ることを請う。これは許され、田守は土佐国へ派遣されて、高鴨神を迎え本来の地へ祀った(高鴨神社[1]

昔、雄略天皇葛城山狩猟を行った際、老夫がいてことごとく天皇と獲物を競い合った。天皇は怒ってこの老父を土佐国へ流した。この老父は我々の先祖が祀っていた神の化身で、この時に天皇により放逐されてしまったものである。

神護景雲元年(767年播磨守に任ぜられ、翌神護景雲2年(768年)一族の諸雄らとともに賀茂朝臣から高賀茂朝臣に改姓している。

官歴 編集

続日本紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 『続日本紀』天平宝字8年11月7日条

参考文献 編集