趙明哲(チョ・ミョンチョル、조명철、1959年4月2日 - )は、大韓民国政治家、第19代国会議員脱北者初の国会議員である[1]

経歴編集

1959年朝鮮民主主義人民共和国平壌で生まれた。金日成総合大学を卒業し、金日成総合大学・南開大学で教授として働いた。1994年7月18日脱北して、大韓民国に入国した[2][3]。対外経済政策研究院の研究委員を経て、2011年6月8日に統一教育院院長に任命された[4]2012年セヌリ党の公認を受けて比例代表として国会議員に当選した。

年表編集

  • 1987年10月 - 1994年7月、金日成総合大学南開大学教授
  • 1994年、対外経済政策研究院研究委員
  • 2003年11月 - 2005年11月、KDI国際政策大学院諮問委員
  • 2003年12月 - 2004年11月、立命館大学国際地域研究所特別研究員
  • 2004年1月 - 2011年6月、統一部統一政策分科ポリシー諮問委員、対外経済政策研究院の統一国際協力チーム長
  • 2008年4月 - 2011年6月、対外経済政策研究院国際開発協力センター所長
  • 2009年3月 - 2011年2月、韓国北東アジア経済学会理事
  • 2010年1月 - 2011年12月、韓国鉄道公社諮問委員
  • 2011年2月 - 2011年6月、法制ポリシー諮問委員
  • 2011年3月 - 、韓国観光公社南北観光諮問委員
  • 2011年3月 - 、国家人権委員会政策諮問委員
  • 2011年4月 - 2011年12月、韓国経済新聞客員論説委員
  • 2011年6月 - 2012年3月21日、統一教育院院長
  • 2012年5月 - 2016年5月19日、国会議員(比例代表・セヌリ党)
  • 2013年3月 - 2014年5月19日、国会情報委員会委員
  • 2013年4月 - 2014年5月19日、国会外交統一委員会委員
  • 2014年6月 - 2016年5月19日、国会(後半期)倫理特別委員会委員
  • 2014年6月 - 2016年5月19日、国会(後半期)企画財政委員会委員
  • 2015年8月、セヌリ党政策委員会、民生119本部副本部長
  • 2016年9月、セヌリ党北朝鮮人権と脱拉致被害者委員会委員長
  • 2017年3月 - 、自由韓国党北朝鮮人権と脱拉致被害者委員会委員長

論争編集

学歴論争編集

趙明哲は金日成総合大学の学部を卒業して準博士号を取ったが、準博士号を博士号に該当するものとして候補者の登録書類に出したことについての議論があった。朝鮮民主主義人民共和国の学位は3段階で、大学を卒業すると技士とあり、追加で2年の課程を追加で終了したら取れる準博士となり、3年の課程を終了したら博士となる[5]2012年の総選挙の時にこの問題が提起されたため、趙明哲は国家機関から博士に決定したと説明した[6]

地域差別発言編集

趙明哲議員は2013年8月19日、国家情報院の国政調査2次公聴会の時に、証人として出席した課長(元水西警察署捜査課長)に「光州の警察か、大韓民国の警察か」と問い詰めた。のちに国会倫理委員会に提訴された[7]

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 韓国、脱北者初の国会議員誕生/南北和解訴える元活動家も”. 四国新聞社 (2012年4月12日). 2020年1月31日閲覧。
  2. ^ 서양원, 귀순 강명도·조명철씨 회견 "김정일체제 불만…주민탈출 가속화", 매일경제, 1994년 7월 28일
  3. ^ 장용훈, 올들어 탈북자 20명 입국, 연합뉴스, 1999년 2월 26일
  4. ^ 조명철 원장의 북한판 코리안 드림, 헤럴드경제, 2011년 6월 9일
  5. ^ 학사는 "기사" 석사는 "준박사" 호칭, 경향신문, 1989년 5월 20일
  6. ^ 최대열, 학력논란 조명철 "공식기관서 확인", 아시아경제, 2012년 4월 2일
  7. ^ "광주의 경찰" 발언 조명철 의원, 국회 윤리위에

外部リンク編集