趙 栻(ちょう しょく、1111年 - 1128年)は、北宋の徽宗の第17皇子(夭逝を除いて第14皇子)。
美人楊氏(後に修容嬪を授けられ、また賢妃を追贈された)の子として政和元年(1111年)6月に生まれた。同母姉に順淑帝姫がいる。同年9月、広国公の位を授けられた。政和3年(1113年)正月、太保の官職を授けられた。宣和7年(1125年)2月、南康郡王を再授された。靖康元年(1126年)4月、和王を加授された。
靖康の変後、金に連行され、金の天会6年(南宋の建炎2年、1128年)に、異母兄の趙㮙に殺害された。