足らぬ足らぬは工夫が足らぬ
概要
編集戦時下の日本において、国民に耐乏生活を強いるために生み出された標語[1]。
1942年に大政翼賛会と大手新聞社によって行われた「国民決意の標語」で選ばれた作品[2]。
この頃にパーマネントはやめるようにされて、日の丸弁当が奨励された[3]。
脚注
編集- ^ “憂楽帳:遠慮は無用”. 毎日新聞. 2024年2月17日閲覧。
- ^ “「欲しがりません勝つまでは」北朝鮮で耐乏生活の思想教育”. DailyNK Japan(デイリーNKジャパン). 2024年2月17日閲覧。
- ^ “読谷村史 「戦時記録」上巻 第二章 読谷山村民の戦争体験 第一節 読谷山村における沖縄戦”. yomitan-sonsi.jp. 2024年2月17日閲覧。
- ^ “【戦後70年】玉音放送をめぐるクーデター? 日本人が意外と知らない、戦争にまつわる7つのこと”. ハフポスト (2015年7月30日). 2024年2月17日閲覧。
- ^ “【第152回】ユーモアのレッスン | NAFUマガジン”. 新潟食料農業大学. 2024年2月17日閲覧。