近代文体発生の史的研究

近代文体発生の史的研究(きんだいぶんたいはっせいのしてきけんきゅう)は、山本正秀の著書。1965年岩波書店から発刊された。言文一致体にかかわる多くの文献に評説を加え、それをまとめたもので、日本語文体史の重要な著書である。ほかに同著者の著書には、本書の姉妹編と呼びうる「言文一致の歴史論考」(正編・続編)、本書に関連する文献の原文を収載した「近代文体形成史料集成」(発生編・成立編)がある。

目次 編集

序章、前期 言文一致の発生(1~11章)、後期 言文一致論の前進・言文一致体小説の流行(1~17章)の計29章からなる。序章で言文一致体の概要と時期区分を述べ、前期 言文一致の発生の第1章以下、個々の文献について引用・解説を行う。本書では言文一致体の歴史的な展開について慶応2年~昭和21年までを7期に区分する説を提示しているが、そのうち第1期、第2期に属するものしかあつかわれていない。

  • 序章
  • 前期 言文一致の発生(慶応2年―明治16年)
    • 第一章 洋学者の著訳書に現れた近代文体の胎動
    • 第二章 前島密の言文一致創唱
    • 第三章 福沢諭吉の「世俗通用」の俗文創始
    • 第四章 雑誌上の言文一致改良意見
    • 第五章 大新聞紙上の文章改良論
    • 第六章 「デゴザル」調の開化啓蒙書出版
    • 第七章 明治初年小学校教科書の文体
    • 第八章 『ものわり の はしご』と『天路歴程意訳』
    • 第九章 小新聞談話体文章の実態と言文一致意識
    • 第十章 談話体一部採用の啓蒙雑誌
    • 第十一章 植木枝盛の談話『民権自由論』二書
  • 後期 言文一致論の前進・言文一致体小説の流行(明治17年―明治22年)
    • 第一章 政党小新聞社説の口語化と読売新聞の談話体投書文
    • 第二章 「かなのくわい」の活動と言文一致
    • 第三章 田口卯吉の近代文体創見と言文一致体ローマ字文創始
    • 第四章 「RŌMAJI ZASSHI」と言文一致
    • 第五章 国字改良よりも言文一致を先きに
    • 第六章 速記出版物の言文一致促進
    • 第七章 「いらつめ」同人らの言文一致活動
    • 第八章 小学国語読本の談話体採用
    • 第九章 坪内逍遥の小説文体改良論と『此処やかしこ』
    • 第一〇章 二葉亭四迷の言文一致活動
    • 第一一章 山田美妙の言文一致活動
    • 第一二章 嵯峨の屋おむろ・森鴎外の言文一致活動
    • 第一三章 硯友社諸家の言文一致同調
    • 第一四章 硯友社以外の言文一致同調書家
    • 第一五章 翻訳文体の発達
    • 第一六章 明治二十一年前後の言文一致論争
    • 第一七章 文体一定の気運、和漢洋三体の折衷へ

後期 第一一章 山田美妙の言文一致活動 編集

山田美妙文体の変遷は、言文一致体のかかわりを基準にすると4期に分けられる。
  ①~明治19年10月
  ②明治19年11月~21年2月
  ③-①明治21年3月~22年夏
  ③-②明治22年秋~25年10月
  ④明治25年11月~没年

第1期 編集

山田美妙は少時から漢籍と戯作に親しみ、学生時代に英文学にもふれた。明治18年5月~19年5月の「竪琴草紙」、19年8月の「新体詩選」、19年10月の「少年姿(わかしゆすがた)」では曲亭馬琴の強い影響を見てとれる。

第2期 編集

明治39年11月「中学世界」定期増刊「作文叢話」号中の「明治文学の揺籃時代」と、明治40年10月「文章世界」第2巻第11号定期増刊「文話詩話」号中の「言文一致の犠牲」によれば、山田美妙は英文学史で見たチョーサーと、物集高見「言文一致」および「RŌMAJI ZASSHI」明治20年5月号のチェンバレンの「GEM-BUN ITCHI」の影響を受け、言文一致体を志したという。山田美妙は第1作の明治19年11月~20年7月の「嘲戒小説天狗」以後、「風琴調一節」、「ふくさづつみ」、「武蔵野」、「花の茨、茨の花」、「夏木立」(ただし出版された時期としては第3期に入る)とだ調の言文一致体の小説を発表し、「武蔵野」のときに有名になった。「風琴調一節」の作中には言文一致体による詩が含まれており、これを先駆として、21年1月には言文一致体による三編の詩「初春の湖」「はるのあけぼの」「明治二十一年の新年に又俗語体で」を発表し、詩において言文一致に先鞭をつけた。同年2月・3月に「言文一致論概略」を出して言文一致擁護を唱えた。

第3期 編集

明治21年3月~22年1月「空行く月」から、従来のだ調にかえてです調を用いた。また以良都女都の花の二誌にたずさわり、言文一致体の宣伝も行った。小説では「花車」、「胡蝶」以下いくつも作品を出し、並行して作詩にも力を入れた。