近藤 季用(こんどう すえもち、天正元年(1573年) - 慶長17年5月6日1612年6月5日))は、安土桃山時代の武将、江戸時代初期の旗本。近藤秀用の長男。通称、勘助または登之助。室は小栗重勝の娘。子に近藤貞用大沢基重室。弟に近藤用可(気賀近藤家祖・交代寄合)、近藤用宗近藤用義(井伊谷近藤家祖)。姉妹は米倉平大夫室、小笠原権之丞室(のちに九鬼長兵衛室)、由良貞繁室。

経歴編集

天正18年(1590年)、井伊直政隊に属し小田原征伐にて戦功を挙げる。この功により豊臣秀吉から紅梅の胴服や黒馬を賜る。文禄元年には(1592年)金指1000石を賜る。この頃すでに、父と離れ徳川家康の直属となっていたようである。

関ヶ原の戦いの功により、遠江国井伊谷3050石が与えられた。後は長男の貞用が継ぎ、子孫は5450石の旗本として存続した。墓は浜松市都田町の龍洞院。