近衛 政深(このえ せいしん、生没年不詳)は、室町時代真言宗醍醐派僧侶醍醐寺の座主。父は近衛房嗣足利義教の猶子。

政深
諡号 宝池院
尊称 権僧正法印
宗派 真言宗醍醐派
寺院 醍醐寺
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生涯

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関白近衛房嗣の子供として生まれる(『醍醐寺新要録』によれば、実際は一条教房の子とされる[1])。母は不明。後に足利義教の猶子となる。兄弟に教基政家道興増運政弁がいる[2][出典無効]

兄弟の道興・増運・政弁と同様に仏門に入る。永享3年(1431年)には宝池院に入室することとなっていたが、父・房嗣が参賀しないことから将軍・足利義教の不興を買って中止され、代わりに一条兼良の子・教賢が入ることとなった[3]。実際に宝池院に入室できたのは宝徳元年(1449年)12月となった[3]

真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺の僧となり、応仁2年(1468年)9月に醍醐寺の座主(三宝院門跡)となった[2][出典無効][4]が、文明元年(1469年)6月18日には座主を辞任して寺を離れた[1]

脚注

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  1. ^ a b 『体系日本史叢書 15』(山川出版社、1994年)p.259
  2. ^ a b 川村一彦『近衛家一族の群像』(歴史研究会[要ページ番号][出典無効]
  3. ^ a b 『体系日本史叢書 15』(山川出版社、1994年)p.260
  4. ^ 『公卿辞典〔3訂増補〕』(国書刊行会1994年[要ページ番号]