遠藤 胤相(えんどう たねすけ)は、江戸時代中期の近江国三上藩の世嗣。
寛延2年(1749年)、若狭国小浜藩主・酒井忠与の次男として誕生。
3代藩主・遠藤胤忠の養子となり、その娘である光顔院と婚約する。天明3年(1783年)に徳川家治に拝謁するが、天明5年(1785年)6月18日に死去した。享年37。戒名は霊信院素淳。
このため、胤忠は新たな養子として三河吉田藩松平家から胤富を迎えている。