郵船ビルディング
郵船ビルディング(ゆうせんビルディング)は、東京都千代田区丸の内二丁目にある、日本郵船本社が入居する建築物である。この項目では1923年竣工の初代ビルおよび、1978年竣工の2代目ビルの両方について説明する。
年表
編集初代
編集郵船ビルディング | |
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情報 | |
用途 | 日本郵船本社 |
旧用途 | 極東空軍尉官宿舎 |
設計者 | 曽禰中條建築事務所 |
施工 | フラー建築 |
建築主 | 日本郵船 |
敷地面積 |
※1,410.45坪 |
建築面積 |
※1,218.93坪 |
延床面積 |
※8,438.53坪 |
階数 | 地上7階、地下1階 |
着工 | 1920年(大正9年)11月 |
竣工 | 1923年(大正12年)5月26日 |
改築 | 1976年(昭和51年)3月解体 |
所在地 |
〒100-0005 東京都千代田区丸の内二丁目3番2号 |
座標 | 北緯35度40分53.5秒 東経139度45分45.84秒 / 北緯35.681528度 東経139.7627333度座標: 北緯35度40分53.5秒 東経139度45分45.84秒 / 北緯35.681528度 東経139.7627333度 |
歴史(初代)
編集日本郵船会社により新社屋として計画され、同社は用地として1917年(大正6年)10月、1,410.45坪の敷地を三菱合資会社より賃借しその建設を図った[1]。当時の日本としては規模大なるもので、絵葉書などにもなった。設計は曽禰中條建築事務所によるもの。
パリ講和会議の際、日本政府の代表委員の1人であった、当時の日本郵船社長近藤廉平が航路途中のニューヨークで、1919年(大正8年)2月に米国・フラー社の社長ポール・スターレットと会見した際、郵船ビルの施工をフラー社に依頼し、契約が締結された[2]。その後、米国・フラー社と三菱合資会社との合弁会社であるフラー建築株式会社による施工となる運びとなった。
1920年(大正9年)11月起工され、その間の1922年(大正11年)4月26日にマグニチュード6.8の神奈川県東部地震で被災。この被害については、フラー建築から三菱合資会社地所部に、4692.14円の工事手数料が払い戻された[3]。起工より2年8ヶ月を経て、1923年(大正12年)5月26日に竣工した。この施工の契約は実費清算報酬加算方式(実費精算方式)で、フラー建築の工事手数料は15パーセントであった[4]。
竣工後の1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって、一部の外壁が破損するなどの被害を受けた。
1945年(昭和20年)9月、連合国軍最高司令官総司令部が接収し極東空軍尉官宿舎と成した[5]。1956年(昭和31年)1月の接収解除後はふたたび日本郵船が本社屋としたが、現建物への建替えのため1976年(昭和51年)3月取り壊された。
2代目
編集郵船ビルディング | |
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情報 | |
用途 | 日本郵船本社、貸事務所 |
設計者 | 三菱地所 |
施工 | 大成建設・竹中工務店・大林組JV |
建築主 | 和田倉建物 |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 4,570.05(1,382.44坪) |
延床面積 | 51,645.09(15,622.64坪) |
階数 | 地上15階、地下3階、塔屋2階 |
高さ | 最高部70.4メートル |
エレベーター数 | 乗用12台、貨物用2台 |
着工 | 1976年(昭和51年)3月(初代建物解体工事) |
竣工 | 1978年 (昭和53年)2月 |
所在地 |
〒100-0005 東京都千代田区丸の内二丁目3番2号 |
座標 | 北緯35度40分53.5秒 東経139度45分45.84秒 / 北緯35.681528度 東経139.7627333度 |
歴史(2代目)
編集日本郵船の新たな本社屋として1978年 (昭和53年)2月に竣工した。建設の際には、1975年(昭和50年)6月に日本郵船と三菱地所がそれぞれ50パーセントずつの出資で新会社、和田倉建物株式会社を設立し、同新会社に建築主を引き受けさせるという手法がとられた(竣工後の1979年9月、三菱地所が保有する同新会社の全株式は日本郵船に譲渡)[6]。建替え期間中、日本郵船及び郵船ビルのテナントは暫定的に三田国際ビルに移転した[7]。1979年(昭和54年)9月、敷地が三菱地所から日本郵船に売却された[7]。
東京中央郵便局建て替えのため、ゆうちょ銀行本店が2012年7月まで暫定的に入居していた。
屋上にはTBSテレビが「皇居前(お天気)カメラ」の名称で情報カメラ(お天気カメラ)を常設しており、情報番組等で皇居前広場越しの都心の風景を中継放送している。また、場合によっては国会議事堂やその奥にあるTBS放送センターにカメラが向く場合もある。
建て替えへ
編集2023年7月11日、日本郵船は郵船ビルディングの建て替えを発表した。2030年代前半の竣工を目指しており、建て替え期間中は神奈川県横浜市中区に三菱地所、鹿島建設と共同で設立した特定目的会社を通じて建設する「横浜タワー棟」(2026年竣工予定)に本社機能を移すとしている[8][9]。
出典
編集- ^ 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、238頁
- ^ 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、236頁-238頁
- ^ 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、248頁
- ^ 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、247頁
- ^ 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、495頁
- ^ 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 下巻、342-343頁
- ^ a b 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 下巻、343頁
- ^ “日本郵船、丸の内の本社建て替えへ 横浜に新ビル建設”. 日本経済新聞 (株式会社日本経済新聞社). (2023年7月11日) 2023年7月12日閲覧。
- ^ 『横浜の新ビル建設に向け特定目的会社を設立』(プレスリリース)日本郵船株式会社、2023年7月11日 。2023年7月12日閲覧。
参考文献
編集- 三菱地所株式会社社史編纂室編 『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 三菱地所株式会社、平成5年(1993年)。