酒部王(さかべおう/さかべのおおきみ、生年不詳 - 天平12年10月25日740年11月18日))は、奈良時代皇族浄広壱磯城皇子の子[1]官位従四位下弾正尹

経歴

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元正朝霊亀3年(717年)正月に酒部王を含む天武天皇の孫(坂合部王智努王御原王)たちが、二世王の蔭位により従四位下に直叙され、同年10月に同じメンバーに対して封戸が与えられる。

その後の政治的な足跡は残っていないが、聖武朝天平12年(740年)10月25日卒去。最終官位弾正尹従四位下。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 澤田[1990: 73]

参考文献

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  • 宇治谷孟『続日本紀』(上中巻)、講談社講談社学術文庫〉、1992年
  • 澤田浩「「薬師寺縁起」所引天武系皇親系図について」『国史学 142』国史学会、1990年