鈴木清 (写真家)
1943-2000,写真家。
人物・来歴
編集福島県いわき市に生まれる。炭鉱で働いたのち、閉山により漫画家になることを考え上京するが、土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」を見て、写真家になることを志す。東京綜合写真専門学校卒業後、全国の炭鉱をまわる「シリーズ・炭鉱の町」をカメラ毎日に掲載し写真家としてデビュー。
写真家としての活動のかたわら、母校である東京綜合写真専門学校の講師や看板描きをしながら生計を立てる。
生前出版された8冊の写真集は1冊を除いてすべて自費出版で[1]、写真を撮るだけでなくレイアウトなど編集も自ら手掛け、独自の世界観を作り上げる。出身地であるいわき市の炭鉱やその閉山跡、再開発された常磐ハワイアンセンターなどを通して、記憶、生い立ちを自伝的に見つめる写真集「修羅の圏(たに)」などが代表作。同作の題字は親交のあった写真家ロバート・フランクによるものである。
写真展を開催する際には、ギャラリーのミニチュアを作成することで展示方法を立案した。死の直後に行われた写真展では、遺された展示案をもとに、教え子の金村修が会場設営を担当した。
年譜
編集写真集
編集- 『流れの歌』(1972年)
- 『ブラーマンの光』(1976年)
- 『天幕の街』(1982年)
- 『夢の走り』(1988年)
- 「愚者の船」(IPC、1991年)ISBN 4871988430
- 『天地戯場』(1992年)
- 「デュラスの領土〈DURASIA〉 マルグリット・デュラスのアジア。」(1998年)
- 『修羅の圏(たに)』(1994年)
回顧展
編集脚注
編集- ^ “Kiyoshi Suzuki | 鈴木 清”. kiyoshi-suzuki.my.coocan.jp. 2020年12月27日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 公式Webサイト
- 鈴木清 (@guganphoto) - X(旧Twitter)
- 鈴木清 (kiyoshi.suzuki.1130) - Facebook