鎌原 重澄(かんばら しげずみ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。
真田幸隆の弟・鎌原幸定の子・宮内少輔幸重の子[1]。真田家の家臣ではなく、甲斐武田家の家臣として仕え、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで戦死した[1]。