長塚 忠策(ながつか ちゅうさく、1879年明治12年)3月10日[1] - 1948年昭和23年)9月12日[2])は、日本の衆議院議員立憲民政党)。弁護士

長塚忠策

経歴 編集

茨城県北相馬郡稲戸井村(現在の取手市)出身。東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、1901年(明治34年)に判事検事登用試験に合格した。司法官試補として水戸区裁判所に勤務し、1903年(明治36年)からは判事として横浜区裁判所、前橋地方裁判所に勤務した。1906年(明治39年)に退官して、新治郡土浦町(現在の土浦市)に弁護士事務所を開いた。土浦町会議員を経て、1915年大正4年)から茨城県会議員を務めた。

1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

脚注 編集

  1. ^ 『茨城人名録』p.437
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年

参考文献 編集

  • 『茨城人名録』いはらき新聞社、1939年。