長岡建蔵

日本のゲームクリエイター

長岡 建蔵(ながおか けんぞう、1972年2月13日 - )は、日本ゲームクリエイター原画家グラフィッカーシナリオライター

千葉県松戸市出身。愛称はチョーケンHARD時代は、はらほれひろはら名義も用いた[1]

はっちゃけあやよさん』『おまえのなつやすみ』に代表される不条理かつ切れの良いギャグ、『地獄SEEK』『十牝図』に代表される猟奇的な作風を得意とする[2][3]

好きなものは「しなやかな女体」[4]

概要 編集

中学時代は焚き火が趣味で、神社で炎を眺めてはうっとりとしていた。その頃出会った一冊のSM雑誌に魅了され、高校生の時には女体を描くことに熱中するようになる[4]。高校卒業後に有限会社HARDにアルバイトとして入り、昼は原画家・シナリオライター、夜はデザイン学校という生活を始めるも二週間で破綻。以後はアダルトゲーム製作の仕事に専念する[5]。ハードでの初仕事は『はっちゃけあやよさん 2』移植版の原画とCGで、以後のHARD作品は長岡の人物造形と彩色が特徴となる。長岡は美術志望であったこともあり、当時正規の訓練を受けない者による原画・彩色が一般的であった美少女ゲームにおいて、先駆的に質の高い造形表現を行った[注 1]

また、そうこうする内に21歳にしてHARD社長の座を任され、ゲームづくり全体を指揮していくことになる。PILの田所広成とはこの頃からの付き合いで、当時アイデスのプロデューサーとして働いていた田所に水羊羹で籠絡されて、あやよさんシリーズの登場人物を貸し出している[4]

HARD解散後にPCゲームブランドCRAFTWORKを設立。CRAFTWORDKでは、『for elise』『flowers』『さよならを教えて comment te dire adieu』の三作を発表し、『さよならを教えて_〜comment_te_dire_adieu〜』はカルト的人気を増し、発売後十年を経て再版にまで至った。

しかし、CRAFTWORKは商業的に成果を得ることはなかったため、以後はデザイナーとして、ゲームのユーザーインターフェース、パッケージ、書籍デザイン、ロゴデザイン等を請け負うようになる。

ゲーム 編集

  • はっちゃけあやよさん 2 (1990年) - 原画・CG
  • はっちゃけあやよさん 3 (1991年) - 企画・脚本・原画・CG
  • はっちゃけあやよさん 4 (1993年) - 企画・脚本・原画・CG
  • はっちゃけあやよさん 5 (1994年) - 企画・脚本・原画・CG
  • はっちゃけあやよさん 1-2-3 - (1993年) - 企画・脚本・原画・CG
  • ハードスペシャルセレクション-塊-「蛹化の女」(1994年) - 原画・CG
  • 吉永サユリがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (1995年) - 企画・脚本
  • PIL caSEX 「性欲の強い看護婦」 (1996年) - 企画・脚本・原画・CG
  • ぱじゃまJam (1996年) - 原画・CG
  • 地獄SEEK (1997年) - 企画・原画・CG
  • for elise (1996年) - 企画・原画・CG
  • flowers 〜ココロノハナ〜(1998年12月11日) - 企画・原画・CG
  • さよならを教えて ~comment te dire adieu~ (2001年) - 企画・原画・CG
  • ふしぎ電車 (2003年) - 原画・脚本
  • おまえのなつやすみ (2004年) - 企画・原画・CG
  • おまな2 おまえんち萌えてるぞ (2006年) - 企画・原画・CG
  • ピエタ 幸せの青い鳥 (2006年) - 企画・原画・CG
  • Geminism-げみにずむ- (2023年) - 監修・原案・キャラクターデザイン・グラフィック[6]

書籍 編集

  • はっちゃけあやよさん小説版 38度・扇情の怪物

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  • 『十牝図』[7]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 元々、ハードは美少女写真館(1987)、口説き方教えます(1986)、カインドゥギャルズ(1987)において、後に『パソコン通信CG写真集』を出す尊辺友を起用するなど、CGを重視していた。

出典 編集

  1. ^ 長岡建蔵 『はっちゃけあやよさん小説版 38度・扇情の怪物』 表紙帯
  2. ^ 多根清史・八霧敬次『超エロゲー』太田出版 2006年11月28日 pp.35-37
  3. ^ 『美少女ゲームマニアックス 2』キルタイムコミュニケーション 2001年10月10日 pp.22-25
  4. ^ a b c 『長岡建蔵「地獄SEEK」 公式ビジュアルブック』1998年 p.110
  5. ^ 『さよならを教えて』を生んだ鬼才・長岡建蔵が語る、 人気クリエイターに美少女ゲーム出身者が多い理由”. リアルサウンド ブック (2022年12月24日). 2022年12月24日閲覧。
  6. ^ CRAFTWORK (2021年1月7日). “Twitter /@craftwork_pr”. 2022年1月7日閲覧。
  7. ^ 長岡建蔵・十牝図

参考文献 編集

  • 石埜三千穂 『長岡建蔵 地獄SEEK〔公式ビジュアルブック〕』 1998年4月5日
  • 長岡建造・石埜三千穂 『さよならを教えて 設定資料&原画集』 CRAFTWORK side.c 2002年12月30日
  • 『おまなつ・ピエタ設定資料&原画集』 CRAFTWORK side.c 2008年12月30日

関連項目 編集

  • さっぽろももこ - RIKA名義で歌手として活動する人物で、長岡作品で絵師を務める事が多い。
  • 石埜三千穂 - 脚本家として多くの長岡作品を担当した。
  • 氏賀Y太 - 『拾玖圖』で共作。長岡は初めてのコミケで氏賀の同人誌を入手して以来ファンだという。

外部リンク 編集