長谷川宣義
日本の江戸時代の武士
長谷川 宣義(はせがわ のぶよし)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。書家としても知られ、石齋と号す。長谷川宣以の子。通称は辰蔵、のち祖父や父と同様に平蔵を称した。官位は従五位下山城守。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和7年(1770年) |
死没 | 天保7年2月26日(1836年4月11日) |
別名 | 辰蔵、平蔵(通称)、石齋(号) |
官位 | 従五位下山城守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 長谷川氏 |
父母 | 長谷川宣以、大橋親英娘 |
兄弟 | 宣義、正以、河野弘道室、渡辺久泰室、女子 |
妻 | 亀井安清養女 |
子 | 宣茂、宣昭 |
略歴
編集天明8年(1788年)12月23日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。寛政7年(1795年)5月8日、書院番となる。同年8月3日、家督を継いで400石を得る。
寛政8年(1796年)2月10日、小納戸となり、将軍家の世子家慶付きを命じられる。寛政9年(1797年)4月21日より江戸城西の丸に勤仕する。文政9年(1826年)12月16日、従五位下・山城守に叙される。天保2年(1831年)6月8日、先手弓頭となる。