間部詮允
越前鯖江藩6代藩主。間部家7代。間部詮熙の長男。従五位下・主膳正
間部 詮允(まなべ あきさね / あきざね)は、越前鯖江藩の第6代藩主。間部家7代。第5代藩主・間部詮熙の長男。母は家臣・近藤氏の娘。正室は亀井矩賢の娘・載子(英松院)。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政2年1月6日(1790年2月19日) |
死没 | 文化11年7月17日(1814年8月31日) |
別名 | 直之助(幼名) |
官位 | 従五位下・主膳正 |
藩 | 鯖江藩主 |
氏族 | 間部氏 |
父母 | 父:間部詮熙、母:近藤氏の娘 |
兄弟 | 詮允、峯(水野忠篤継室)、詮苞、敬(中西主水養女)、慶(米倉昌寿正室)、千重、弥、文、詮勝 |
妻 | 載子(亀井矩賢の娘) |
子 |
養子:詮勝 惇(永井直寛正室) |
鯖江に生まれる。幼名は直之助。寛政12年(1800年)、世子となる。文化2年(1805年)12月、従五位下・主膳正に叙任する。文化8年(1811年)12月に父が死去したため、翌年3月16日に跡を継いだ。
外桜田門番役などを務めた。また、藩校・進徳館を創設して文学を奨励し、藩士の家禄制度を改正するなどして藩政の再建に尽力したが、文化11年(1814年)7月17日の参勤交代途上に急死した(死去の月日は5月27日とする史料もある)。享年25。家督は弟の詮勝が養嗣子となって継いだ。法号は馨香院。墓所は鯖江市深江町の万慶寺。
系譜
編集父母
- 間部詮熙(父)
- 近藤氏 - 側室(母)
正室
- 載子 - 亀井矩賢の娘
子女
- 惇 - 永井直寛正室
養子
- 間部詮勝 - 実弟
参考文献
編集- 間部家文書刊行会編『間部家文書』第三巻 鯖江市、1984年。