関藤謙治

岡山県笠岡市出身の実業家 (1875-1964)。井笠鉄道社長

関藤 謙治(せきとう「せきどう[1]」 けんじ、1875年9月1日 - 1964年8月2日)は、岡山県笠岡市出身の実業家。元井笠鉄道代表取締役社長。

せきとう けんじ

関藤 謙治
生誕 (1875-09-01) 1875年9月1日
岡山県笠岡市
死没 (1964-08-02) 1964年8月2日(88歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
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来歴

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1875年9月1日、笠岡市西浜で生まれる[1]

1908年、井原笠岡軽便鉄道(後の井笠鉄道[2])の設立に尽力[1][3] し、1934年、井笠鉄道取締役[1]1935年、専務取締役[1]を経て、1941年、代表取締役社長[1][3]となり、地方交通の発展に尽力[1]した。

また、笠岡湾浚渫[3]防波堤の築造[3]、富岡湾の干拓[3]などの事業に協力し、地域の発展に尽力[3]した。

1964年8月2日死去。享年88。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『岡山人名辞典』220頁。
  2. ^ 2012年10月31日限りで事業を停止し、破産手続を行っている。
  3. ^ a b c d e f コトバンク. “関藤謙治 とは”. 2013年4月29日閲覧。

参考文献

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  • 吉岡三平 監修 『岡山人名辞典』 日本文教出版、1978年。