阿呆物語』(あほうものがたり、古独: Der abenteuerliche Simplicissimus[注 1])は、17世紀ドイツの小説。作者はハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン(1622年? - 1676年)。原題は「冒険者ジンプリチシムス」の意[注 2]

阿呆物語
Der abenteuerliche Simplicissimus
1669年版の口絵銅版画。下絵はグリンメルスハウゼンによって描かれたものとされている[1]。
1669年版の口絵銅版画。下絵はグリンメルスハウゼンによって描かれたものとされている[1]
作者 ハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
言語 ドイツ語
ジャンル ピカレスク小説教養小説
刊本情報
出版年月日 1668年1669年
日本語訳
訳者 関口存男手塚富雄
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17世紀ドイツを代表する民衆小説であり、当時のベストセラーであるばかりでなく、ドイツ・バロック小説のなかでは、ほぼ唯一現在も読み継がれている作品である[3]

概要 編集

 
1669年版の標題ページ[注 2]

初版は1668年に 5巻本が出版されたが現存していない。初版が好評を得たため翌年に再刊された[5][注 3]。この出版も5巻本で、著者名はゲルマン・シュライフハイム・フォン・ズルスフォルト(German Schleifheim von Sulsfort)という変名が用いられた。同1669年に初版を底本に、続巻(Continuatio、第6巻としても扱われる)を追加し再刊されたが[5][7][8]、著者名はこれも変名のザームエル・グライフェンゾーン・フォン・ヒルシュフェルト(Samuel Greifnson vom Hirschfeld)を用いた。そのため長い間真の作者がわからず、グリンメルスハウゼンの名は1837年にヘルマン・クルツドイツ語版によって明らかにされた[注 4][5]。変名は、不完全ではあるが本名を並び替えたアナグラムを使っており、その本名は版本続編の巻末のあとがき(Beschluss)において頭文字 "H.I.C.V.G." で提示されていた[11][12][13]

あらすじ 編集

物語は三十年戦争を背景にしている。山村に育った主人公は、10歳のとき、戦争の余波で村が襲われたために逃げ出して孤児となり、森の奥で老いた隠者に拾われる。隠者は彼にジンプリチウス・ジンプリチシムス:Simplicius Simplicissimusと名付けて読み書きを教え、2年後に世を去る。天涯孤独となった主人公は戦乱の世を小姓や道化、兵隊などさまざまな職を経験しながら渡り歩き、悪事と女性遍歴を重ねながら世界中を放浪してまわる。やがて長い放浪の果てに故郷に帰ると平和が戻っており、ジンプリチウスは自分の半生を振り返って隠者になることを決め、最後に南海の孤島に渡ってそこで余生を送る。

扉絵の怪物 編集

謎の有翼の怪物をあしらった扉絵(銅版画、最上部右の図を参照。)にされている寓意画(エムブレム)[14]については、多くの研究・解釈が試みられている[1][15][注 5]。人間・ヤギ・鳥・魚の特徴を合わせたキマイラ(合成獣)が描かれるなどと形容されるが[17]、頭部は(人間とヤギというより)ヤギ角の「サテュロスの頭」であろうとされ(Satyrkopf[18][19]、これは風刺文学(サタイア)であることのもじりだとみなされる[20][18]。ただギリシア神話のキマイラとは程遠いので、「キマイラ」という呼び方[注 6]はあてはめるのを否定する意見もある[15]

そして怪物の正しい名称は「不死鳥=銅」(Phönix-Kupfer)であるとされ、当「書物の目的を具現化したもの」と解されている[17]。扉絵にはこの不死鳥=銅についての詩(讃)が添えられている[21][17][22]。「怪物の姿は[讃の]文言の内容を示唆しているように思われる」、と義則(1988)論文も解説する[23]。ただ、この「不死鳥」という呼び方についても[24]難を示し、緻密に工作された史学的なシンボルと見るべき、とフーベルト・ゲルシュは主張する[25]。この絵にはバロック文学特有の「内密の詩学」(geheime Poetik)が秘められている、と本邦論文でも紹介される[22]。この怪物の絵に鳥や魚の部分がつけれられたのは、「愚かな本」を「鳥の羽根、魚の尾、胸のふくらみ、左右ちぐはぐな足」をもたせた合成獣に譬えたホラティウス詩論』記述に由来することをゲルシュ[26][27]、あるいはジョン・パースが見出した[注 7]。この絵解きに、グリンメルスハウゼンの碩学が鍵となることを導いたのは、ゲルシュの学派、すなわちギュンター・ヴァイト(Weydt)率いるミュンスター学派の功績が大きい[30]

またこの怪物図は、真の著者グリンメルスハウゼンか(ベルクハウス&ヴァイトの説)、あるいは本の主人公の(およびその体験の)表象である、という見方もされていた[31][32]。怪物が持つ本や剣は、現実社会にて備品をそのまま表わし、翼(空気と関係)や鰭・尾鰭(水と関係)はなんらかの寓意であり[31]、あるいは翼も鰭も足もあるが、時代の風潮においてうまく飛べも泳げも歩けもしない、どこにもすんなりは馴染めない存在を意味する[32]。彼は、幾つかの役を演じた人間(地面に仮面が散らばる)であるが、ここではサテュロスすなわち「風刺俳優」の役を演じつつ、本を指さして世界のことわりを読者に説明しているのだという。そして、このように雑多な部分から成り立っているものの、「自己に関する説話には一体性」が保たれていることを顕示しているのだと論じられる[31]

扉絵の怪物が続巻(第六巻)のバルトアンデルスであると、作家のボルヘス(『幻獣辞典』)等であるが[33][34]。ドイツ文学の分野ではゲルシュがこれを否定する[15]

評論 編集

手塚富雄は、この作品に関しドイツ小説史において特別の意義を持ち、『パルチファル』から本書を経て、ウィーランドの『アガトーン』、ゲーテの『ウィルヘルム・マイステル』、ケラーの『緑のハインリッヒ』へとつづく伝統的な教養小説の範疇に属するものである、と述べている[35]。また手塚をはじめ、スペイン、フランス等のピカレスク(悪党)小説の形式的影響を受けながらドイツ長編小説の特色をつらぬいている、と評価されている[35][2]。一方、作品自体は個人の成長よりも、ジンプリチウスに人間存在一般を代表させてその生を多角的に描き出すことを主眼としているという解釈もある[36]

日本語訳書籍 編集

  • グリンメルスハオゼン『阿呆物語』上・中・下巻、關口存男 訳、東西出版社、1948年 - 1949年
    • 同POD版 『関口存男著作集 翻訳・創作篇』、三修社、2 - 4、2013年
      • 2(上巻) ISBN 978-4-384-70120-3 C1398
      • 3(中巻) ISBN 978-4-384-70121-0 C1398
      • 4(下巻) ISBN 978-4-384-70122-7 C1398
  • グリンメルスハウゼン 『阿呆物語-シンプリチシムスの数奇な生涯-』 上村清延 訳、河出書房 世界文學全集 古典篇 中世物語篇 1951年(1/7程度の抄訳)
  • グリンメルスハウゼン『阿呆物語』上・中・下巻、望月市恵 訳、岩波書店、岩波文庫、1953-1954年
    • 『阿呆物語』(上)岩波書店〈岩波文庫 赤 403-1〉、1953年10月。ISBN 978-4-0032-4031-1 
    • 『阿呆物語』(中)岩波書店〈岩波文庫 赤 403-2〉、1954年1月。ISBN 978-4-0032-4032-8 
    • 『阿呆物語』(下)岩波書店〈岩波文庫 赤 403-3〉、1954年5月。ISBN 978-4-0032-4033-5 

ドイツ語編本 編集

英訳 編集

関連作品 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「単純(Simplex)」を意味する[2]。ラテン語 の形容詞simplicissimussimplex最上級英語版
  2. ^ a b 全標題は、「ドイツの冒険家ジムプリツィシムス、すなわちメルヒオール・シュテルンフェルス・フォン・フックスハイムと称する奇妙な放浪人の生涯の記録、つまりどこでどのようにして彼はこの世にまみえたか、彼はそこで何を見、何を学び、何を経験し、何を耐えたか、またなぜに彼がこの世をふたたび自発的に清算したか。読めば興味は尽きず、得るところは多大、世に問うはゲルマン・シュライフハイム・フォン・ズルスフォルト、モンペルガルトのヨハン・フィリオン書店発行、一六六九年」(Der Abenteuerliche Simplicissimus Teutsch / Das ist : Die Beschreibung des Lebens eines seltsamen Vaganten, genannt Melchior Sternfelts von Fuchshaim, wo und welchergestalt er nӓmlich in diese Welt kommen, was er darin gesehen, gelernt, erfahren und ausgestanden, auch warum er solche wieder freiwilig quittiert, / Überaus lustig, und mӓnniglich zu lesen. An Tag geben von German Schleifheim von Sulsfort, Mompergart, gedruckt bei Johann Fillion, im Jahr MDCLXIX. / Continuatio des abenteuerlichen Simplicissimi, oder Der Schluß desseben, Durch German Schleifheim von Sulsfort. Mompergart, bei Johann Fillion, 1669.)[4]
  3. ^ あるいは、じっさいは1668年中に印刷・配布がされたが、1669年の先日付になっていのだ、とドイツ語版の編者ブロイアーは記述している[6]
  4. ^ あるいはクルツおよびテオドール・エヒターマイヤードイツ語版 Theodor Echtermeyer (1838年)の二人の功績[9]、エヒターマイヤーとパッソウ Wilhelm Arthur Passow (1843年発表)の功績とされる[10]
  5. ^ この絵の研究沿革が Conny Bauer (1980), Phönix-Kupferにある[16][15]
  6. ^ 例えばGrimmelshausen & Breuer ed. 1989, p. 1.1: 794(同上)およびGrimmelshausen & Breuer ed. 1989, pp. 989, 1004でも「Chimäre」と呼ぶ例を、Gersch 2015, p. 3, 注6で挙げている。
  7. ^ John Roger Paas[28][29]
  8. ^ the Badische Landesbibliothek Karlsruheで原本のPDFのダウンロードが[37]、またthe Herzog-August Bibliothek Wolfenbüttelにて電子版の原本の閲覧が可能[38]

出典 編集

  1. ^ a b 義則 1988, p. 54.
  2. ^ a b 時田 2018, p. 130.
  3. ^ 義則孝夫「グリムメルスハウゼンの諸問題」『人文研究』第17巻第8号、大阪市立大学文学会、1966年、672-695頁、doi:10.24544/ocu.20180417-129ISSN 0491-3329NAID 120006005204  p.42(672) より。
  4. ^ 義則 1963, pp. 931–932.
  5. ^ a b c 望月 訳 1953, pp. 3–4, 「前書き」.
  6. ^ Breuer 1999, p. 30 ドイツ語:"Der angegebene Druckort »Monpelgart« (die damals noch württembergische Stadt Mömpelgart, Montbeliard am Doubs) ist eine Fiktion, ein beliebter fiktiver Druikort für satirische Literatur. Tatsächlich ist das Werk in Nürnberg erschienen, auch nicht bei „Johann Fillion", sondern bei Wolff Eberhard Felßecker, und das Erscheinungsjahr 1669 ist eine Vorausdatierung; der Roman erschien bereits 1668."
  7. ^ Fleishman 2011, pp. 4, 8.
  8. ^ Konzett, Matthias (2000). "Hans Jakob Christoffel von Grimmelshausen 1611-1676". Encyclopedia of German Literature. Routledge. ISBN 978-1-1359-4129-1. ISBN 1135941297.
  9. ^ Breuer 2003, p. 248.
  10. ^ 新井 1978, p. 22.
  11. ^ Schweitzer, Christoph E. (Summer 1990). “Grimmelshausen, Philarchus Grossus von Tromerheim, and‘Simplicianische Schriften’”. Monatshefte 82 (2): 116. JSTOR 30155248. 
  12. ^ Grimmelshausen & Goodrick tr. 1912, p. 3.
  13. ^ 新井 1978, pp. 19–22.
  14. ^ 時田 2018, pp. 131–132.
  15. ^ a b c d Gersch 2015, p. 3.
  16. ^ Bauer, Conny (1980). Das Phönix-Kupfer von Grimmelshausens Abentheuerlichem Simplicissimus. Zur Forschungslage. In: Text und Kontext 8, pp. 43-62.
  17. ^ a b c Tatlock 1993, pp. 165–166.
  18. ^ a b 義則 1988, p. 62.
  19. ^ Grimmelshausen & Breuer ed. 1989, 1.1: 794.
  20. ^ Greene 2003, p. 346.
  21. ^ Grimmelshausen & Adair tr. 1986, p. 14.The "Phoenix Copper", the allegorical frontispiece.
  22. ^ a b 義則 1988, pp. 58–59.
  23. ^ 義則 1988, p. 59.
  24. ^ Grimmelshausen & Kelletat ed. 1956, Nachwort, p. 631, および注42dで"Phönix"と呼ぶ例をGersch 2015, p. 3, 注7で挙げている。
  25. ^ Gersch 2015. 英文サマリー
  26. ^ Gersch 2015, p. 50 (48-63).
  27. ^ 義則 1988, pp. 64–65.
  28. ^ Paas, John Roger (1980). “Applied Emblematics. The Figure on the 《Simplicissimus》-Frontspieces and its Places in Popular Devil-Iconography”. Colloquia germanica: internationale Zeitschrift fur germanische Sprach- und Literaturwissenschaft 13: 306. 
  29. ^ 時田 2018, p. 132.
  30. ^ 義則 1988, p. 64.
  31. ^ a b c Berghaus & Berghaus 1976, p. 114.
  32. ^ a b 時田 2018, pp. 132–133.
  33. ^ Borges, Jorge Luis. (1992) Werke in 20 Bänden. Bd. 8, Einhorn, Sphinx, und Salamander. [[:es:El libro de los seres imaginarios|]] [Das Buch der imaginären Wesen]
  34. ^ Gersch 2015, p. 3, 注8.
  35. ^ a b 河出書房 世界文學全集 古典篇 中世物語篇 1951年 解説 p. 385
  36. ^ 望月 訳 1953, pp. 11–12, 「前書き」.
  37. ^ Inhouse-Digitalisierung / Der Abentheurliche Simplicissimus Teutsch” (英語). 2023年2月8日閲覧。
  38. ^ WDB - Wolfenbütteler Digitale Bibliothek - drucke/lo-2309” (ドイツ語). 2023年2月8日閲覧。

参照文献 編集