望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 - 1991年9月8日)は、ドイツ文学者信州大学名誉教授。

長野県南安曇郡東穂高村(現・安曇野市)出身[1]旧制松本中学松本高等学校文科乙類を経て、1925年東京帝国大学文学部独文科卒。立教大学予科教授、静岡高等学校教授、第一高等学校教授、松本高等学校教授ののち、1949年、信州大学教授、退官して名誉教授。

多くのドイツ文学を翻訳。特にトーマス・マンの翻訳で知られる。北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』に旧制松本高校教授時代の姿が描かれている[2]

著書 編集

  • 『独逸簡易文法』大学書林, 1938
  • 糸魚川街道』『糸魚川街道』刊行会, 1984

翻訳 編集

脚注 編集

  1. ^ 20世紀日本人名事典. “望月 市恵(モチヅキ イチエ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年4月12日閲覧。
  2. ^ 北杜夫『どくとるマンボウ青春記』(改版)中央公論社〈中公文庫〉、1990年、103-109頁。ISBN 4-12-201722-X 

参考文献 編集

外部リンク 編集