霊王(れいおう、? - 紀元前529年、在位:紀元前541年 - 紀元前529年)は、中国春秋時代の王。、のちにと改名した。共王の次男。

霊王 熊虔
王朝
在位期間 前541年 - 前529年
都城
姓・諱 熊虔
諡号 霊王
没年 紀元前529年
共王
后妃 豊氏
晋女

生涯編集

父共王の死後、王位は長兄の康王が継いでいた。康王の死後はその息子の郟敖が継いでおり、熊囲はその令尹となって補佐していたが、紀元前541年に郟敖を殺害して自ら王として即位した。主に勢力拡大に従事し、諸侯と会盟してを討った。紀元前533年を、紀元前531年を討った。その後も、次いでまた呉を討つなどして楚の勢力を拡大した。

だが連年の戦役は臣民に多大な負担を強いた。このため臣民の心は霊王のもとから離れ、公子の熊比・熊黒肱(子皙)、熊弃疾ら(3人とも霊王の弟)は反対派を結成し、紀元前529年に霊王が軍を率いて都のを留守にするとクーデターを決行。留守を預かっていた霊王の太子である熊禄を殺害した。このクーデターを知って霊王の楚軍は一気に崩壊し、霊王は1人で山中をさまよいながら死んだ。

死後、王位はクーデターで中心的な役割を果たした熊比こと訾敖が継いだが、弟の熊弃疾が再度クーデターを起こして兄たちを排除し、彼が平王として即位した。

家庭編集

父親:

  • 共王(熊審、第7代楚王)

兄弟:

  • 康王(熊招、第8代楚王, (zh))
  • 訾敖(熊比、第11代楚王, (zh))
  • 熊黒肱(子皙、令尹, zh
  • 平王(熊弃疾、第12代楚王)

子:

参考文献編集

先代
郟敖
第10代:前541年 - 前529年
次代
訾敖