青木成一
日本の陸軍軍人
青木 成一(あおき せいいち、1892年(明治25年)1月29日[1] - 1977年(昭和52年)10月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]。
青木 成一 | |
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生誕 |
1892年1月29日 日本 石川県 |
死没 | 1977年10月13日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1912年 - 1945年 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に石川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第30期卒業[3]。フランス駐在を経て[2]、1935年(昭和10年)に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、歩兵第41連隊長に就任[2]。1937年(昭和12年)に陸軍省兵器局機械課長を経て[2]、1938年(昭和13年)、陸軍少将進級と同時に歩兵第18旅団長に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。武漢攻略戦では、瑞昌を突破し岳陽楼に日章旗を掲揚した[1]。
1940年(昭和15年)に中部防衛参謀長に転じた[2]。1941年(昭和16年)8月に陸軍中将進級と同時に第40師団長に親補され[2]、岳州周辺の警備に当たる[3]。1944年(昭和19年)8月3日に参謀本部附となり[1]、9月11日に留守第2師団長に親補される[1]。1945年(昭和20年)3月29日に待命[4]、3月30日に予備役に編入された[4]。3月31日に召集され[4]、大阪連隊区司令官兼大阪地区司令官となり[4]、終戦を迎えた。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。