須田一二三 (官僚)

須田 一二三(すだ ひふみ、1899年明治32年)1月17日[1] - 1951年昭和26年)8月14日[2])は、大正時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚

須田一二三

経歴・人物編集

福岡県遠賀郡八幡村字枝光北本町(現・北九州市八幡東区枝光)に生まれる[3]小倉中学校第五高等学校を経て、1920年(大正9年)9月、東京帝国大学に入学[3]。在学中の1922年(大正11年)11月[4]高等試験行政科に合格し、1923年(大正12年)3月[5]、同大法学部政治学科を卒業する[1]。卒業後、台湾総督府鉄道部書記に奉職[1]

ついで鉄道部事務官、交通局参事・鉄道部庶務課長、交通局総務課勤務、運輸課長を経て、1932年(昭和7年)4月、台湾総督府事務官に進み、殖産局商工課長兼商品陳列館長に就任[1]。さらに、度量衡所長兼務、農務課長・殖産局長心得、秘書官兼務を経て、総督府文書課長となった[1]。のち、総督府官房審議室勤務、官房人事課長、総督府企画部長を経て、1942年(昭和17年)10月、殖産局長に就任した[6]

脚注編集

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  1. ^ a b c d e 台湾新民報社 1937, 188頁.
  2. ^ 「須田一二三氏(日台貿易取締役)」『読売新聞』、1951年8月15日、3面。
  3. ^ a b 興南新聞社 1943, 204頁.
  4. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、236頁。
  5. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正12年至大正13年』東京帝国大学、1924年、卒業生姓名4頁。
  6. ^ 興南新聞社 1943, 204-205頁.

参考文献編集