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須磨 利之(すま としゆき、1920年 - 1992年)は、1951年に日本初のSM雑誌、奇譚クラブを発行した男性。関西でも一、二を争う印刷会社の一族出身で、父が早くに病死したため、母親は伯父(父の兄)の庇護の下、広壮な離れ屋敷で須磨を育てていたが、役者買いをした事が発覚し、激怒した伯父が母親を蔵の中に縛り付けてしまった。これを偶然目撃した小学三年生の須磨少年は、あられもない母親の姿に衝撃を受け、この時の情景のインパクトが強かったためか、旧制中学卒業後、日本画の学校に通い、「あの時の母親の姿を絵にしたい!」と思っていた。若き日の須磨は、責め絵で有名な伊藤晴雨の画集で、緊縛のデッサンを勉強し、実践とアルバイトを兼ねて飛田遊郭の女郎屋で「縛られ女郎ショー」というSMの実演を行っていた。これが行列のできる人気だったので、雑誌を発行しようと考えたのである。こうして須磨発行、第1号の雑誌『奇譚クラブ』を発刊した。この雑誌には、団鬼六が『花と蛇』を寄稿した。その後、須磨は『裏窓』(後の、サスペンスマガジン)を発行する。この雑誌は、最初はミステリー物だったが、しだいにSM路線に変更していった。発行第3号の雑誌は、濡木痴夢男と「虻プロ」を立ち上げて創刊した『あぶめんと』である。

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