風邪の神送り(かぜのかみおくり)は、落語の演目の一つ。元々は上方落語の演目である。風の神送りとも表記する[1]江戸時代に多く行われていた「風邪の神」を追いやる行事(疫神送)を題材にした噺。一席の落語としてたっぷり演じられる場合と、マクラとして使われる場合とがある。

主な演じ手は、3代目桂米朝8代目林家正蔵など。

あらすじ 編集

伝染病で命を落とす人が多かった時代。ある町内に悪性の風邪が流行したので、町の若い衆が「風邪の神送り」をやろうと提案する。その町では、紙やワラで「風邪の神」の人形を作り、それをかついだ行列を作って鉦鼓太鼓三味線を鳴らし、「送れ送れ、風邪の神送れ、どんどと送れ(上方では「風邪の神送ろう」「風邪の神送ろう」の繰り返し)」と囃し立てながら隣の町や村の境まで運び、へ流すという風習であった。若い衆が奉加帳を持ち、家々を回って費用を集めようとするが、貧乏人やケチ揃いで、なかなか寄付が集まらない(長く演じる場合、この場面でさまざまな人との滑稽なやり取りをたっぷり演じる)。

若い衆はなんとか集めた銭で「風邪の神」の人形をこしらえ、日暮れに行列を出発させた(上方の演じ方ではここで下座からのハメモノと、袖の芸人たちによる掛け声がかかる)。行列の際、「送れ送れ、風邪の神送れ、どんどと送れ」「お名残り惜しい」「誰だ、『お名残り惜しい』などと言う奴は」と振り向くと、町内の薬屋(または医者)であった(※ここで噺を切る演じ方もある)。

川へ投げ込まれた「風邪の神」は、夜更けになって魚捕りの網にかかった。引き上げられた風邪の神は人々の思いを受けたものか立ち上がり、漁師に「わしは風邪の神だ」と告げた。すると漁師がこう言った。

「ははあ、夜網(弱み)につけ込んだな(「弱みにつけ込む風邪の神」という慣用句を踏まえたもの)」。

脚注 編集

  1. ^ 宇井無愁『笑辞典 落語の根多』(角川文庫、1976年)p.161