飯沼 剛一(いいぬま ごういち、1877年10月9日 - 1960年1月11日)は、日本実業家大正海上火災保険会長や、東亜火災海上保険社長を務めた。

人物・経歴 編集

兵庫県出身。1902年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業、三井物産入社[1][2]。三井物産台北支店長兼南洋協会台湾支部幹事を経て[3]、1918年新設された大正海上火災保険支配人に就任[4]。1921年大正海上火災取締役支配人[5]。1928年大正海上火災保険専務。1935年から大正海上火災保険会長として、戦時体制下での統合などを進めた。1940年東亜火災海上保険社長[2][1]。1941年新設された日本損害保険協会の理事に就任[6]

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 飯沼 剛一(読み)イイヌマ ゴウイチ20世紀日本人名事典
  2. ^ a b 飯沼剛一(読み)いいぬま ごういちデジタル版 日本人名大辞典+Plus
  3. ^ 南洋協会台湾支部と台湾総督府兵庫教育大学
  4. ^ 財閥による傘下企業の内部的統治のケース:大正海上火災日本金融監査協会
  5. ^ 大正海上火災保険(株)『大正海上火災保険株式会社四十年史』(1961.05)
  6. ^ 日本損保協会誕生す(大阪朝日新聞 1941.7.22 (昭和16)神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 保険(4-155) )
先代
南条金雄
大正海上火災保険会長
1935年 - 1944年
次代
大塚俊雄