飯田 長次郎(いいだ ちょうじろう、生年不詳[1] - 正徳元年11月26日1712年1月4日〉)は、江戸時代中期の一揆指導者[2]

経歴・人物

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安房郡国分村(現:千葉県館山市国分)の名主[2]。正徳元年(1711年北条藩領下で起こった万石騒動の指導者のひとり[2]。のち一揆の頭取として秋山角左衛門根本五左衛門と共に処刑された[2]

脚注

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 76頁。
  2. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『飯田長次郎』 - コトバンク