高山八幡宮

奈良県生駒市にある神社

高山八幡宮(たかやまはちまんぐう)は、奈良県生駒市高山町字大門にある神社である。社格は旧村社。本殿は国の重要文化財に指定されている。

高山八幡宮


高山八幡宮
(2018年6月16日撮影)

地図
所在地 奈良県生駒市高山町12679-1
位置 北緯34度44分42秒 東経135度43分20秒 / 北緯34.74500度 東経135.72222度 / 34.74500; 135.72222 (高山八幡宮)座標: 北緯34度44分42秒 東経135度43分20秒 / 北緯34.74500度 東経135.72222度 / 34.74500; 135.72222 (高山八幡宮)
主祭神 誉田別名
足仲津彦命
息長足比売命
創建 天平勝宝元年(749年)
本殿の様式 三間社流造
地図
高山八幡宮の位置(奈良県内)
高山八幡宮
高山八幡宮
高山八幡宮の位置(日本内)
高山八幡宮
高山八幡宮
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祭神 編集

祭神は誉田別名(ほんだわけのみこと=応神天皇)、足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと=仲哀天皇)、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)の三柱で、中世以来高山を支配した鷹山氏の氏神とされている[1]

歴史 編集

正確な創建年代は不明であるが、『続日本紀』の「天平勝宝元年(749年)十二月十八日、奈良東大寺に勧請する宇佐八幡宮平群郡で迎えしめた」という記事が充てられ、この年代が創建と伝えられている[2]

中世期には、当地・鷹山荘の土豪、鷹山氏の武神として崇拝された[2]文明6年(1474年)の戦火により社殿が焼失したが[3]元亀3年(1572年)に鷹山藤逸によって再建される[4]天正13年(1585年)に鷹山氏が筒井氏に従って伊賀へ去ると[5]、帰農した鷹山氏の旧臣たちは[5]茶筅製作を生業とし、その際に、無足人座と称する宮座を結成し、当社の神殿に最も近い位置に、座小屋を有した[6]

江戸時代には寛永元禄享保の各年代の本殿棟札から、法楽寺・西光寺・上坊・中坊が神宮寺的役割をしたと推察される[2]

文化財 編集

重要文化財(国指定) 編集

  • 高山八幡宮本殿[7]

市指定無形民俗文化財 編集

  • 高山八幡宮宮座行事

ギャラリー 編集

脚注 編集

  1. ^ 生駒市教育委員会 編『生駒市指定文化財(第1集)』生駒市教育委員会、2003年。 
  2. ^ a b c 平凡社 1997, p. 527.
  3. ^ 生駒市教育委員会 2020, p. 2; 野口 1974a, pp. 101, 105.
  4. ^ 生駒市教育委員会 2020, pp. 2, 175; 野口 1974a, p. 101.
  5. ^ a b 生駒市教育委員会 2020, p. 2.
  6. ^ 生駒市教育委員会 2020, p. 2; 平凡社 1997, p. 527.
  7. ^ 『国指定重要文化財高山八幡宮本殿』高山八幡宮、1988年8月。 

参考文献 編集

  • 生駒市教育委員会 編『興福院所蔵 鷹山家文書調査報告書』生駒市教育委員会〈生駒市文化財調査報告書 第38集〉、2020年。 
  • 野口省吾「大和高山の宮座(一)―奈良県生駒市高山町―」『ソシオロジ』第18巻、第3号、1974年。doi:10.14959/soshioroji.18.3_90 
  • 野口省吾「大和高山の宮座(二)―奈良県生駒市高山町―」『ソシオロジ』第19巻、第1号、1974年。doi:10.14959/soshioroji.19.1_79 
  • 平凡社 編『大和・紀伊寺院神社大事典』平凡社、1997年。ISBN 4-582-13402-5 

外部リンク 編集