高島 節男(たかしま せつお、1915年5月5日-1994年10月17日 )は、日本の官僚経営者経済企画事務次官三井金属鉱業社長を務めた。福岡県出身[1]。父親は高島基江

来歴・人物 編集

1940年東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に商工省に入省[1]通商産業省経済企画庁での勤務を経て、1969年12月に退官[1]1971年6月に三井金属鉱業顧問に就任し、1972年5月に常務、1974年6月に専務を経て、1977年6月に副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格した[1]1984年6月に会長に就任し、1987年6月に取締役相談役を経て、1989年6月から相談役を務めた[1]

1988年4月に勲一等瑞宝章を受章した[1]

1994年10月17日肺炎のため死去[2]、79歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 興信データ株式會社 1991, た154、た155頁.
  2. ^ 1994年 10月18日 日本経済新聞 夕刊 p15

参考文献 編集

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 下』興信データ、1991年。 
先代
尾本信平
三井金属鉱業社長
1979年 - 1984年
次代
真島公三郎