高橋 慶太郎(たかはし けいたろう、1871年10月11日明治4年8月27日[1]) - 1942年昭和17年)11月14日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴 編集

島根県出身[2]東京帝国大学法科で学ぶ[2]。島根新聞主幹となる[2]

1903年第8回衆議院議員総選挙において松江市選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選する[3]。衆議院議員を1期務め、同年10月に議員を失職となった。1904年第9回衆議院議員総選挙は不出馬。1942年に死去した。

脚注 編集

  1. ^ 衆議院 編『『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』』衆議院公報附録、1903年、20頁。NDLJP:900093 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』378頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』42頁。

参考文献 編集

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。