高英
高 英(こう えい、? - 518年)は、北魏の宣武帝の2番目の皇后。宣武帝の生母高照容の姪にあたる。
高皇后 | |
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北魏の皇后 | |
在位 | 508年 - 515年 |
全名 | 高英 |
死去 |
518年 |
配偶者 | 宣武帝 |
子女 | 皇子、建徳公主 |
父親 | 高偃 |
母親 | 王氏(武邑君) |
立后前身位 | 貴嬪 |
生涯
編集高偃と王氏(武邑君)のあいだの娘として生まれた。503年(景明4年)、宣武帝の後宮に入って貴嬪(妃)となった。皇子を生んだが、その子は夭逝した。また、建徳公主を生んだ。507年(正始4年)10月、皇后于氏は急死し、世間は高英の仕業ではないかと噂した。翌年(508年)、高英は皇后に立てられた。
515年(延昌4年)、孝明帝が即位すると、皇太后となった。まもなく出家して尼僧となり、瑤光寺に住持して、慶事の大節以外は宮中に入らなかった。518年(神亀元年)9月24日、急死した。
子女
編集- 男子 (夭折)
- 建徳公主