高間 寛八(たかま かんぱち、生没年不詳)は、幕末期の砲術[1]は正寛、通称は多須衛[1]。子は幕末の武士高間省三[2]

経歴・人物

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安芸広島藩[1]文久3年(1863年長崎に派遣され西洋式の銃砲を購入する[1]維新後は藩の武具奉行となり、武器弾薬の備蓄を図った[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『高間寛八』 - コトバンク
  2. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『高間省三』 - コトバンク