鳥居 忠春(とりい ただはる、元和7年(1621年) - 元禄13年8月26日1700年10月8日))は、江戸時代武士旗本。通称は内膳、久五郎、久大夫。別名は忠直。父は鳥居成次。妻は安藤正珍の娘。子に嫡子の鳥居成勝[1]のほか、大森勝長大森好輝の養子)、鳥居成豊鳥居忠以の養子)、娘(久世広賢の妻)、娘(中根正包の妻)、娘(牛込重義の妻)がいる。


生涯

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寛永16年(1639年)6月徳川家光に拝謁し、同年12月蔵米2000を賜り、寄合となった。延宝2年(1674年)3月御先弓頭、同年12月布衣を許された。天和2年(1682年上野国邑楽郡のうち500石を加算された。貞享2年(1685年槍奉行、元禄元年(1688年旗奉行を拝命された。元禄7年(1694年)職を辞し、翌元禄8年(1695年致仕し、隠居料蔵米300俵を賜った。


参考文献

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脚注

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  1. ^ 成勝の三男は出羽国新庄藩養嗣子の戸沢正成。正成らの生母で成勝の正室は、信濃国高遠藩主で同族の鳥居忠春。旗本鳥居忠春の子と大名鳥居忠春の娘が婚姻している。