鳥居忠求
鳥居 忠求(とりい ただもと)は、江戸時代中期の下野国壬生藩の世嗣。官位は従五位下・播磨守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文3年(1738年) |
死没 | 寛政元年9月18日(1789年11月5日) |
官位 | 従五位下播磨守 |
藩 | 下野壬生藩世嗣 |
氏族 | 鳥居氏 |
父母 | 鳥居忠意 |
兄弟 |
忠求、坪内定系、忠計、忠見、竹中元恭、忠温、戸川安昶、忠寄、忠良、 高木正弼正室、花房職雍正室、 花房正域養女、虎子ら13男7女 |
妻 | 溝口直温四女・勝姫 |
子 |
忠貴、竹村嘉道、謡台院、寛隆院、 松平忠元正室 |
略歴
編集鳥居忠意の嫡子として生まれ、宝暦5年(1755年)に徳川家重に初御目見・叙任する。父が老中など幕閣の要職にあった関係上、長く嫡子の座にとどまった。寛政元年(1789年)、家督を相続する前に没した。没後は長男・忠貴が代わって嫡子となった。