麹屋 伝兵衛(こうじや でんべえ、? - 天明5年(1785年))は、江戸時代中期の一揆指導者、町人[1]

経歴・人物 編集

山城伏見の製造業者[1]

天明5年(1785年)伏見奉行の小堀政方の苛政に反対し、丸屋九兵衛文珠九助伏見屋清左衛門柴屋伊兵衛板屋市右衛門焼塩屋權兵衛と共に江戸の寺社奉行へ越訴(伏見町民一揆、天明伏見騒動)[2]に向かうが、伝兵衛は江戸にて越訴を前にして病死する[1]。越訴の結果政方は職を免じられた[1][2]

明治20年(1887年)7人の義民を祀る「伏見義民事蹟」が御香宮神社の境内に建てられた[2]。碑文は勝海舟の撰、題字は三条実美の書である[2]。毎年5月18日には伏見義民碑保存会により慰霊祭が開催されている[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『麹屋伝兵衛』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 京都観光Navi:伏見義民事蹟、2018年10月25日閲覧。