黒住 宗子(くろずみ むねやす、1876年明治9年)11月28日 - 1936年昭和11年)7月9日)は、明治時代大正時代昭和時代宗教家黒住教4代目教主。岡山県出身。

黒住 宗子
個人情報
生誕 (1876-11-28) 1876年11月28日
死没 (1936-07-09) 1936年7月9日(59歳没)
宗教 黒住教
配偶者 前妻:小野曾子
後妻:小野富子
子供 長男:黒住宗和
両親 父親:黒住宗篤
テンプレートを表示

経歴

編集

岡山県岡山市出身。黒住教の3代目教主である黒住宗篤の長男として生まれる[1]閑谷学校西毅一北白川宮邸内の篤信学舎で宮地厳夫に学んだ[2]

1897年明治30年)に父の跡をついで黒住教の4代管長となる。機関誌の発行や教師養成所の創設など、教団組織の整備に尽力した。また私生活では小野尊光の娘である曾子と結婚し、後に離縁。その後、曾子の妹である富子と再婚した[3]

1936年昭和11年)7月9日、死去。享年61。

脚注

編集
  1. ^ 1932年,日本学術研究会『黒住教の研究』
  2. ^ 黒住教本庁,1929年『黒住教大旨』
  3. ^ 1996年,吉川弘文館『平成新修旧華族家系大成上巻』
先代
黒住宗篤
黒住教
第4代教主
1856 - 1889
次代
黒住宗和