黒住 宗篤(くろずみ むねあつ、1848年7月21日嘉永元年6月21日) - 1889年明治22年)9月27日)は、幕末明治時代宗教家黒住教3代目教主。

黒住 宗篤
個人情報
生誕 1848年7月21日嘉永元年6月21日
備前国御野郡上中野村(現在の岡山県岡山市北区上中野)
死没 1889年明治22年)9月27日
宗教 黒住教
子供 長男:黒住宗子[1]
両親 父親:黒住宗信
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備前国御野郡上中野村(現在の岡山県岡山市北区上中野)出身。幼名は権吉。

経歴

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黒住教の2代目教主である黒住宗信の長男として生まれる。1856年安政3年)、9歳のときに黒住教の3代教主となる[2]

明治維新後は教団の公認を請願し、1872年明治5年)に黒住講社として認可された。1876年明治9年)に神道事務局から別派独立し神道黒住派としてその初代管長に就任した。1885年(明治18年)に宗忠神社を建立[3]

1889年明治22年)9月27日、死去。享年42。

脚注

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  1. ^ 『黒住教の研究』日本学術研究会、1932年[要ページ番号]
  2. ^ 『黒住教大旨』黒住教本庁、1929年[要ページ番号]
  3. ^ 『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年[要ページ番号]
先代
黒住宗信
黒住教
第3代教主
1856 - 1889
次代
黒住宗子