黒川 盛隆(くろかわ もりたか、明和5年(1768年) - 文政12年12月4日1829年12月29日))は、江戸時代後期の国学者。通称は専左衛門、玄蕃、司。号は凹斎、松廻屋。

人物 編集

南部盛岡藩士。17歳の頃から度々江戸に上り、そこで朱楽菅江三輪秀寿などの感化を受け、また加藤千蔭村田春海塙保己一らの門人となって国学の研鑽を積み、学識を深めた。帰郷後、江戸で吸収した知識を活かして国学の教導に従事し、盛岡藩内に国学を普及させた。縦横に活躍する盛隆に対する藩の信頼は篤く、仁孝天皇即位の折には祝儀の為に上洛し藩主の代理を勤めた。しかし、藩主が交代すると彼を嫌う反対勢力の誣告によって失脚、隠棲した。後、藩内で古跡調査が行われた時、藩から協力を求められて承諾し、史料の収集、編纂に寄与した。主な著作に『凹斎漫筆』『旧蹟遺聞』『門田の落穂』などがある。それらの多くは岩手県立図書館に所蔵されている。

参考文献 編集

『江戸文人辞典』 東京堂出版、ISBN 4490104278