1848年フランス大統領選挙
1848年フランス大統領選挙(1848ねんフランスだいとうりょうせんきょ、フランス語: Élection présidentielle française de 1848)は、1848年12月10日および11日にフランスで行われた大統領の選挙(第1期)である。
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県別選挙結果 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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概要
編集二月革命後、ルイ・フィリップの七月王政を立憲共和制に置き換えた(フランス第二共和政)[1]。第二共和政は臨時政府と執行委員会で構成され、憲法制定議会の選挙が実施された。国民憲法制定議会は第二共和政憲法を起草する任務を負い、打倒された君主制に代わる新しい国家元首の定義が規定された。
第一共和政時代の執行委員会型ではなく、憲法委員会は行政権を一個人に委ねることを決定した。
選挙データ
編集憲法委員会は5月下旬、大統領を男性普通選挙で選出することを決定した。大統領選挙の手続きは10月6日の国民投票で批准され、11月12日に採択された憲法に盛り込まれた。カヴァニャックは、ルイ・ナポレオンの妨げになりかねない法的措置に繰り返し反対し、その方が共和国にとって良いという様々な正当化を行った。アレクシス・ド・トクヴィルは「議会によって選ばれた場合、執行部は弱すぎる」と主張した。10月に憲法が議論される頃には、大統領選挙への反対は君主制主義者とルイ・ナポレオンを阻止しようとする共和主義者で構成されていた[2]。選挙は12月10日に予定されていた[2]。
憲法には1回投票の規定しか含まれておらず、得票が過半数に達しない場合、国民議会が当選者を選出することになっていた[3]。ルイ・ウジェーヌ・カヴァニャックは、選挙が国民議会に届いた場合、勝利が確実であるように見えた。ルイ・ナポレオンの勝利は広く予想されていたが、何%の差で勝利するかは不明だった。彼が過半数を欠き、議会で敗北する可能性が現実にあった[2]。
元首
編集- 暫定政府主席:ルイ・ウジェーヌ・カヴェニャック
投票日
編集選挙制度
編集- 有効投票の過半数を獲得した候補がいない場合、国民議会が選出する。
投票方法
編集- 秘密投票、単記投票、記号式、1票制
選挙権
編集- 満21歳以上のフランス国民男子
被選挙権
編集- 満25歳以上のフランス国民男子
有権者数
編集- 9,977,452
選挙結果
編集候補者別得票結果
編集候補者 | 所属政党 | 得票数 | 得票率 | ||
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ルイ=ナポレオン・ボナパルト | ボナパルティスト | 5,587,759 | 74.31% | ||
ルイ・ウジェーヌ・カヴェニャック | 穏健派共和党 | 1,474,687 | 19.61% | ||
アレクサンドル・オーギュスト・ルドル・ロラン | 山岳派 | 381,026 | 5.07% | ||
フランソワ・ヴァンサン・ラスパイユ | 社会主義者 | 37,121 | 0.49% | ||
アルフォンス・ド・ラマルティーヌ | 自由主義者 | 21,032 | 0.28% | ||
ニコラ・チャンガルニエ | レジティミスム | 4,975 | 0.06% | ||
その他候補者 | 12,435 | 0.18% | |||
総計 | 7,519,035 | 100.0% | |||
有効票数(有効率) | 7,519,035 | 99.68% | |||
無効票数(無効率) | 23,901 | 0.32% | |||
投票者数(投票率) | 7,542,936 | 75.60% | |||
棄権者数(棄権率) | 2,434,516 | 24.40% | |||
有権者数 | 9,977,452 | 100.0% |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ Marx, Karl (1913). The Eighteenth Brumaire of Louis Bonaparte (3rd ed.). Charles H. Kerr & Company. pp. 13–75
- ^ a b c De Luna, Frederick A. (1969). The French Republic Under Cavaignac, 1848.. Princeton, New Jersey: Princeton University Press. pp. 365–395
- ^ Alexis de Tocqueville, Souvenirs (chap. XI), Robert Laffont, Paris, 1986, pp. 831–834.