Departure』(デパーチャー)は、HYの1枚目のオリジナル・アルバム

Departure
HYスタジオ・アルバム
リリース
ジャンル ミクスチャー・ロック
時間
レーベル 東屋慶名建設
プロデュース HY
チャート最高順位
  • 週間95位(沖縄限定盤・オリコン
  • 登場回数2回(沖縄限定盤・オリコン)
  • 週間7位(Ocean パッケージ盤・オリコン
  • 登場回数106回(Ocean パッケージ盤・オリコン)
HY アルバム 年表
-Departure
2001年
Street Story
2003年
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リリース 編集

2001年9月22日沖縄県限定でリリース。翌2002年4月10日に全国版「Ocean パッケージ」がリリースされた。その後も再発され、2005年には「RED STYLE Version」、2006年には「Spring Version」と、合わせて4種類発売されている。

制作 編集

レコーディング及び初回リリース当時、メンバーは高校3年生だった。

スケジュールは非常にタイトで、寝る時間も惜しんで朝方までレコーディングしていた。仲宗根は「普通、レコーディングってあんな詰めて録らないでしょ!って今なら思う」と後に語っている。

また仲宗根によると、当時メンバーが人見知りで「思ってることをあまり言うことができず、仮に相手が間違ってたとしても“これが当たり前なんだ”って思って飲み込んでしまう」性格だったこともあり、「レコーディングの時も夜になったら眠たくなるのは当たり前なのに、“寝たいって言ったら怒られるんじゃないか”とか思っていたし、“レコーディングは朝から晩までやってるのがロック”みたいなイメージもあったから、隠れて(機材室で)寝て、誰かが機材室に来たと思ったらすぐ起きて、“ここでピアノの練習してました”みたいなふりをして」いたという。ドラムのバスドラの中に入ってる布団をこっそり持って寝て、誰かが来たら“歌詞を書いてました”みたいな感じで誤魔化したり、酷い時は「目をつぶって感情込めてるように」ピアノを弾いてるふりをしながら寝ていたこともあるという。また、新里はグランドピアノの下で寝ていたという。

また、(「今思えば不思議なんですけど」と前置きした上で)当時のプロデューサーに「アーティストはレコーディングをするってなったら歌詞は見ちゃいけないんだよ」と言われたのを真に受けて必死に歌詞を見ないで歌ったため、書かれてる歌詞と仲宗根が歌っている歌詞が違うものがある。[1]

2ndアルバム『Street Story』のヒットにより、本作もオリコンチャート7位を記録。

収録曲 編集

「ホワイトビーチ」「Ocean」はミュージック・ビデオも存在する。

CD
#タイトル作詞作曲時間
1.「ホワイトビーチ」Hideyuki Shinzato・Tun・IzuHideyuki Shinzato・Izu
2.「革命」TunTun
3.「ソテツ」Hideyuki ShinzatoHideyuki Shinzato
4.「Ocean」Hideyuki ShinzatoHideyuki Shinzato
5.「兼久商店」Hideyuki ShinzatoHideyuki Shinzato
6.「My Life」ShingoYuhei
7.「旅立ち」TunTun
合計時間:
  1. ホワイトビーチ
  2. 革命
  3. ソテツ
  4. Ocean
  5. My Life
  6. 旅立ち

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ HY- the Homeground 第34回 - | OKMusic”. okmusic.jp. 2020年3月8日閲覧。