Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Leowll

最新のコメント:8 年前 | トピック:利用者:Ks aka 98さんへの質問 | 投稿者:Ks aka 98

利用者:Ks aka 98さんへの質問

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@利用者:Ks aka 98さん、このコメントについて質問ですが、「ノート:東トルキスタン利用者‐会話:LeowllでのTakabegさんの対応も適切なものとは思えません。このコメント依頼で論点として挙げられているものについては、むしろTakabegさんの対話姿勢や説明のまずさが悪化させたように思いました。」とおっしゃているのは具体的にどの部分についてですか?編集の差分を示していただきますと幸いです。また、中華人民共和国新疆ウイグル自治区での利用者のPOVのみによる情報の大量除去や典拠なき加筆も問題視されないということですか?Takabeg会話2015年12月8日 (火) 14:28 (UTC)返信

「Leowllさんの編集のすべてに問題がないとはしませんけれども、」と書いている通り、Leowllさんのすべての行為を肯定しているわけではありません。依頼者に、どういう問題があり、その問題にはどう対応するのがよいか考えてほしい、というコメントです。タグの選択に問題があったかもしれないし、タグの指す意味に誤解があったとも思われるけれど、タグ爆撃や妨害的編集ではなく、そのように扱ったことで態度が硬化したり、説明を受け入れられない関係になってしまったことのほうが深刻であり、問題だろう、と。
  • コメントを求める部分の多くは、Leowllさんが貼り付けるテンプレートが妨害的編集にあたるかどうか、そこでの説明不足を問題にしています。テンプレートの解説および妨害的編集の文書などからは、妨害的編集にあたるとは言えないものと考えます。このため、Takabegさんの対話姿勢や説明のまずさを指摘しました。これについては、どうでしょう? コメント依頼の主な論点は、タグの使い方にあったと思います。このノートでは、そこから離れてますが、ここがダメだ、という部分やその理由が、後追いで変化していくと、問題とされている利用者も、コメント依頼に応じる利用者も混乱してしまいます。
  • 利用者‐会話:Leowllについて、「WP:DISRUPTSIGNS、Wikipedia:タグ爆撃あたりをもう一度読み直してみて」も、自分の行為が該当しないと捉えるでしょう。論争のある項目、記述が不十分な項目について、独自研究や観点のテンプレは記事全体にかかる場合もありますし、それを逐一指摘せずとも、その項目を編集する程度に周辺的知識があれば、または、書かれている内容についての情報をいくらかでも確認すれば、多少は争点を把握できるはずです。ルールの理解に対して、「自分が必ず正しい」とは言わないならば、どのルールを提示するのがよいか、再考してほしいと思います。
    • 南京事件 (1937年)でのテンプレートは記事全体に対しての「国際化」[1]です。この記事の出典はほぼ日本語、日本側からのもので占められていますし、「南京入城までの両軍の動向」あたりでも「中国(中華民国)側」は、日本側と比べて十分ではなさそうです。記述に偏りはありそうですが、論争を別記事に置いていますし、全体的には国際化や中立性を意識してはいると思いますが、さらなる調整が必要という考えを否定できるものではないと思います。
    • 南京事件論争では「三十万人以上」の節への「国際化」[2]です。この数字(またはこの数字を筆頭としている「虐殺行為の犠牲者数」へのタグかもしれません)にまつわる記述で、重要ながら要検証となっている記述を含みます。ここは、説明が必要と言うよりは、「国際化」以外のタグを選ぶのがよかったのではないかと思います。
    • 中国共産党では、両者とも続けて編集されているので、Takabegさんが除去した差分を示します[3]。出典の明記およびwikifyは、ノートに書かなくとも理解できます。「言論統制」での「大言壮語」は「迅速に」や「厳格に」あたりと推測できます(不要だったとも思います)。全体にかかる「観点」、「コミンテルン指導下」での「観点」ですが、「コミンテルン指導下」の情報源は台湾の歴史学者によるものと、満州日報 1931年9月18日、豊島拡 1933年という古いものですから、中立性が保持されているとは考えにくいでしょう。
  • これらは、「わざわざノートページに同じ情報を書くまでもないと考えられるとき」と考えられます。タグに対してしまあじさんによる領域設定[4][5]を追認の意思と捉えるかどうかは別としても、Ccgxkさんも「問題タグが「ノートでの指摘が無い」として剥がされたが、ノートでの指摘は必ずしも必要ではないと判断しrv」という理由でのタグの復帰[6][7]を行っています(それぞれTakabegさんが理由を示さずに再度除去しています)。観点系のタグを使用する際にはノートで具体的な指摘をすることが望ましいのは確かですが、ある程度見込める時でさえも「Wikipedia:タグ爆撃」に含めるのかどうかは、文書から明らかではありません。含めるのだとしても私論に過ぎず、日本語版ではそれほど使用されていない文書であり、解釈の余地があるのですから、これを読め、では分かりません。
  • ノート:東トルキスタンの「称号」の部分について、日本語を不自由にしているという自覚がなければ、「日本語で不自由されているのであれば、」という言い方には腹を立てます。「Wikipedia:善意にとる」は、相手に求めるものではなく、自らに課すものであり、この場面では日本語が不自由なのではなく、自由に使える、対話に不便を生じない程度には使えるけれどもたまたま「呼称」を「称号」と書き間違えたと捉える、というのが善意であり、丁寧な対話姿勢です。少なくとも、2015年12月6日 (日) 12:20 (UTC)の書き込みの時点で、お詫びするべきでした。
    • [8]の答え方は、ウィキペディアの慣習から外れ、誰が書いているのかわからなくしてしまうものです。以後ご注意ください。
    • 12月8日のTakabegさんの説明は適切だと思います。説明していないことを批難したり、妨害的編集やタグ爆撃を持ち出すのではなく、どういう意図でタグをつけたかの説明を求めることで、ウィキペディアで独特の使い方をしている用語の誤解がわかり、それを説明することで、問題は解決できたと思います。ただし、既に耳を貸すような関係ではないかもしれませんが。
  • 中華人民共和国での除去[9]、新疆ウイグル自治区での除去[10]は、いずれも「評論のような記述また検証されてない記述を削除」や「検証されてない週刊誌や独立研究などの記述を削除」といった説明にかなっていますし、残すか削るかの優先順位としては間違いではなく、記事から除去するのが難しい事実関係までは除去していません。除去の基準や手続き的なところで問題とされるのならば、個別に対話をしたり、出典付で加筆したりすればよい、という範囲のものだと思います。なお出典付で除去されているものは、読売は魚拓がリンク切れ、産経記事についてはもともと記事自体が伝聞に基づく不確かなものとして書かれているものでした。ただし、除去するよりも、情報源に沿って誰が発表・公表したものかを含めて、伝聞情報として書くのが好ましいものだと思います。除去のところで、なんらかの視点に基づく偏ったものである、「中華人民共和国または中国共産党POV」ということであれば、具体的にご指摘いただけますでしょうか。これこそが「観点」についての指摘であり、具体的に示してもらわないと理解しにくいものです。
  • 出典のない加筆は、好ましいことではありませんが、ウィキペディアではよくあることです。前後の記述にも出典はなく、この加筆をことさら責めることもないでしょう。ある程度その項目についての知識を持つ人が、項目内で必要と思われる事実であり、その内容については間違いないと思われるが適切な情報源が手元にない場合に出典を示さずに加筆することは、多少しょうがないと個人的には思っています。検証可能性の方針を案内して、後でいいから出典示してください、と伝える。
以上お答えします。--Ks aka 98会話2015年12月14日 (月) 14:42 (UTC)返信
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