Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Yonoemon 20090729

コメント依頼から転記

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依頼者です。他者と合意の最中に、焦点となっている記事の編集は控えるというのが共同作業の最低限のマナーであると考えます。またWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#Category:中華人民共和国の都市の細分化についてで一度述べたことですが、「報復」というのはWikipedia:投稿ブロック依頼冒頭に明記されており、投稿ブロック依頼の場合ならば、それが報復にあたるかどうかということを検証するステップはありえます。一方でコメント依頼の場合、第三者のコメントを広く求め問題点の検証や解決を探ることが「報復」とは思いませんが、Yassie 氏にとって、第三者からコメントするということ自体が報復であるという攻撃的な観念が強いのかもしれません。しかしながら、このページで議論すべき被依頼者の問題をそっちのけにしてまで個人的な観念によるコメントを優先し、ブロック依頼でもないのにブロック期間まで指定して書いてしまうというのは、コメント依頼に対する議論妨害であるし、だいたい、それならばノート:クリーヴランドで対立して以来、このように Clarin への個人攻撃に特化した議論介入を何年にもわたって繰り返しやっていること自体が、一個人に対する一種の報復行為でなくして、何だといえるのでしょうか。--Clarin 2009年8月2日 (日) 18:37 (UTC) Wikipedia:コメント依頼/Yonoemon 20090729から転記返信

本ノートに転記されたコメントに見る依頼者の問題

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上記の発言もまた、依頼者の問題が満載であると言えます。もっとも、Yonoemon様に対する報復依頼から一転して自分の立場が苦しくなり、切羽詰っての発言なのかもしれませんが。本コメント依頼に参加されている皆様に注意を促す意味でも、上記発言の問題を1つ1つ、検証していくことにします。

>他者と合意の最中に、焦点となっている記事の編集は控えるというのが共同作業の最低限のマナーであると考えます

表で被依頼者も述べているようですが、そのような「共同作業のマナー」は存在しません。これが本当にマナーに反する行為であるのだとすると、法的問題の無い記事に対し、(主にケースEやGで)削除依頼が出されている最中に、加筆や翻訳によって記事を救済することさえ、マナーに反する行為ということになってしまいます。全く以ってとんでもない話です。もっとも、「Clarin流のマナー」に反しているというのであれば解らなくも無いですが、それならばそれはあくまで「Clarin流」の域を出ないものであり、それに従う必要は必ずしも無いばかりか、考慮にすら値しないと言えます。

>一方でコメント依頼の場合、第三者のコメントを広く求め問題点の検証や解決を探ることが「報復」とは思いませんが、Yassie 氏にとって、第三者からコメントするということ自体が報復であるという攻撃的な観念が強いのかもしれません。

今更申し上げるまでも無く、私は、コメント依頼そのものが攻撃や報復の手段であるなどと言ったことは一度もありません。本来そのための手段ではないものを、Clarin氏が何度も攻撃や報復のために濫用している、という事実は何度もリンクつき・差分つきで指摘していますが。
そもそも、第三者からのコメントを求めるのであれば、経緯と争点と自らの見解をハッキリと分けて、「経緯」にはコメント依頼に至った事実を、また争点にはコメントを求めるべき事実を淡々と列挙して、自らの見解はあくまでも自らの見解に過ぎないことをハッキリと明記した上で、経緯と争点となっている行為の是非については第三者に判断させるようにしなければ、およそ「第三者からのコメントを求める依頼」としての体をなさないわけです。本依頼で言えば、被依頼者が「コンセンサスという概念を理解しているか否か」「フェアか否か」というのを評価するのは、コメントを寄せる第三者であるべきなのですが、本依頼では、「経緯」の中で争点も自らの見解もごちゃ混ぜにして、自らの都合のいいように述べられている始末です。つまり、最初の最初の最初から、依頼者のバイアスがかかった依頼であり、「第三者のコメントを求める」どころか、自説を開陳し、被依頼者を断罪、ないし糾弾する場となっていると言わざるを得ません。
そして、本依頼だけでなく、Wikipedia:コメント依頼/DoWhile 20080524もよく読み進めていくと、上記で述べた問題点がそのまま当てはまります。1年以上経って何も進歩してないというだけでも問題なのですが、さらにClarin氏の場合は、必ずといっていいほど、議論において自分の意に沿わない意見を述べる者が出ると、その相手に対して、こういったバイアスのかかったコメント依頼や、酷い場合には投稿ブロック依頼を提出し、対立者の意見の封じ込めを狙ったり、報復を行おうとしてきたという問題があることは、既に本依頼のコメント中にて述べた通りであります。

>しかしながら、このページで議論すべき被依頼者の問題をそっちのけにしてまで個人的な観念によるコメントを優先し、ブロック依頼でもないのにブロック期間まで指定して書いてしまうというのは、コメント依頼に対する議論妨害であるし

利用者の行動に対するコメント依頼を提出するということは、被依頼者のみならず、依頼者の資質や行動もまた、往々にして見られているものであるのですが(その是非は別として)、どうやら、Clarin氏はその点には全く気付いていないようです。さらに、コメント依頼の進行いかんによっては、投稿ブロックが検討され、そのまま投稿ブロック依頼に移行することも珍しくない(しかもその対象が被依頼者であるとすら限らない)わけで、それを以って「議論妨害」と断ずるのは、依頼者のコメント依頼の実際の運用に対する理解不足、もしくは意図的なミスリードと言わざるを得ません(言うまでもなく、後者のほうがより悪質です)。

>それならばノート:クリーヴランドで対立して以来、このように Clarin への個人攻撃に特化した議論介入を何年にもわたって繰り返しやっている自体が、一個人に対する一種の報復行為でなくして、何だといえるのでしょうか。

自らの問題行動をズバリ、ハッキリ、ありのまま、しかもリンクや差分という形で動かぬ証拠を以って指摘されて、それに対して自己反省も無く、「個人攻撃」呼ばわりして騒ぐ人のことなど、私の知ったことでは勿論ありませんし、誰の知ったことでもないことでしょう。Wikipedia:個人攻撃はしないという方針は、黄門様の印籠ではありません。「個人攻撃」呼ばわりすれば自分の問題に対するいかなる批判・指摘もかわせると思ったら大間違いなわけです。更に言えば、「何年にもわたって繰り返しやっている」というのは、当のClarin氏が、何年にもわたって同じような問題行動を繰り返しているから、ということに他ならないわけですが、そこにも自己反省というものが全く見られていないようです。そもそもノート:クリーヴランドの件にしても、「改名提案」と称した不毛な論争を仕掛けて、私が記事の全面改稿版を完成させるまでに2倍以上の時間をかけさせた、己の執筆妨害行為はまるで省みもせず、あまつさえ、報復的な投稿ブロック依頼を提出する始末であります。Clarin氏の頭の中には、「反省」の2文字はまるで存在しないのではないかとすら、疑わざるを得ません。

こうして検証してみますと、いかに本件依頼者・Clarin氏に問題が多く、被依頼者や今までコメント依頼・投稿ブロック依頼を提出してきた相手に対してどうのこうのと言えるような立場にある人物ではないということは、お解りいただけるかと存じます。しかしながら勿論のこと、以上は私・Yassieの見解に過ぎません。従いまして、私からはClarin氏に対してコメント依頼や投稿ブロック依頼を提出するつもりは、現時点ではありません。もし私が今それを行えば、Clarin氏と同類項に成り下がることを意味しかねないからです。ただし、将来的にも提出しないという保障はしません。また、この見解に賛同するか否かは、上記検証をお読みになった各々方の自由であるとも考えます。そもそもこういうものは、依頼本文に示されたリンクや差分という動かぬ証拠から、各自検証し、お考えくだされば済むことですので。

それでは長くなりましたが、私もそろそろリハビリを兼ねて、ひとまず20-30KB級の記事に取り掛かろうと思っておりますので、これにて失礼。では。Yassie 2009年8月3日 (月) 13:39 (UTC)返信

>そのような「共同作業のマナー」は存在しません。これが本当にマナーに反する行為であるのだとすると、法的問題の無い記事に対し、(主にケースEやGで)削除依頼が出されている最中に、加筆や翻訳によって記事を救済することさえ、マナーに反する行為ということになってしまいます。
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#Category:中華人民共和国の都市の細分化についてにてコメント依頼に出され、議論中の編集に関する一方的編集です。削除依頼の議論ではありません。逆に聞きたいのですが、議論中に一方が思い通りに編集してよいのなら、いかにして共同作業が成り立つとお考えでしょうか?
>今更申し上げるまでも無く、私は、コメント依頼そのものが攻撃や報復の手段であるなどと言ったことは一度もありません。本来そのための手段ではないものを、Clarin氏が何度も攻撃や報復のために濫用している、という事実は何度もリンクつき・差分つきで指摘していますが。
結局コメント依頼は報復の手段たり得ると言っているのではないでしょうか。わたしはコメント依頼を報復と決め付けるべきでないと言っています。仮に報復と思わざるえないような常軌を逸する内容だったとしても、第三者によって客観的に評価される以上、コメント依頼自体が報復の手段たり得るということはないでしょう。
>本依頼では、「経緯」の中で争点も自らの見解もごちゃ混ぜにして、自らの都合のいいように述べられている始末です。
一個人が客観的たろうと努力しても完全足りえない部分はあるでしょう。主観的と思ったり、同意できないと思う部分があれば第三者としてそのようにコメントすればいいことではないでしょうか?その上で第三者のコメントを依頼しているのですが。
>さらに、コメント依頼の進行いかんによっては、投稿ブロックが検討され、そのまま投稿ブロック依頼に移行することも珍しくない(しかもその対象が被依頼者であるとすら限らない)わけで、それを以って「議論妨害」と断ずるのは、依頼者のコメント依頼の実際の運用に対する理解不足、もしくは意図的なミスリードと言わざるを得ません
すでに2者の方が、被依頼者の振る舞いが問題であるとする立場からコメントを寄せています。この時点で、依頼自体が報復であるという個人的観点による議論のプロセスを推し進めることは、この2者の方の立場を完全に無視しているし、すでに事実上成立しているコメント依頼に対する議論妨害でしょう(だって、明らかに被依頼者に関する議論はしにくくなってますよね)。
>自らの問題行動をズバリ、ハッキリ、ありのまま、しかもリンクや差分という形で動かぬ証拠を以って指摘されて、それに対して自己反省も無く、「個人攻撃」呼ばわりして騒ぐ人のことなど、私の知ったことでは勿論ありませんし、誰の知ったことでもないことでしょう。
「知ったことではありません」という言葉を、どのような意味でお使いでしょうか?意味が全くわかりません。
>Wikipedia:個人攻撃はしないという方針は、黄門様の印籠ではありません。「個人攻撃」呼ばわりすれば自分の問題に対するいかなる批判・指摘もかわせると思ったら大間違いなわけです。
Yassie 氏自身が、普段編集しないようなノートにもかかわらず、必ず Clarin を個人攻撃を伴って現れ、議論のテーマと関係のないことを言ったり、方針にもどこにも明記されていないことを常識や一般論などといったり、記事内容に対して根本的な事実誤認を指摘されても反省どころかフォローすらなく、且つ、非常に感情的です。典型的な例としてWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 中華人民共和国の行政区分#カテゴリーの統合整理の提案を挙げておきます。これらの状況証拠を伴って考えると、Yassie 氏自身の強力な怨嗟・怨恨をご自身でコントロールできない、しない故の行動と考えるのが一般論的には最も自然だし、少なくとも清潔・潔白な感情でものを言っているとはどうしても思えません。--Clarin 2009年8月3日 (月) 15:06 (UTC)返信
私は本コメント依頼に参加している第三者に私の見解を述べているのであって、アナタとは話していません。以前も申し上げたように、私はアナタを既に「対話不能者」と認識しており、何を言っても時間と電算機資源の無駄にしかならないと思っていますから。私の見解に基づく検証については、それをお読みになった第三者が各々評価すればいい(更に言えば、評価せず単に読み流してもいい)ものであり、そこでアナタがいくらギャーギャーわめき散らそうが、まるで意味を持ちません。もっとも、これも言ったところで時間と電算機資源の無駄にしかならないのかもしれませんが。Yassie 2009年8月3日 (月) 16:02 (UTC)返信
「今後コメント依頼の内容に関するものでないコメントは、ノートへ転記いたします」とのClarinさんによる宣言があったため、念のため予めノートの方に書きます。Yassieさんからご指摘のあったノート:スワンナプーム国際空港を拝見しました。たしかに今回の案件に類似する部分があり、今後の対処について参考にすべき部分が多いように感じました。このコメント依頼提出に至るまでの状況について、Clarinさんが過去に関係した案件との類似点・相違点を含めてを整理して考える必要がありそうです。--Himetv 2009年8月3日 (月) 16:28 (UTC)返信
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