Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考/暦書 (ノストラダムス) 20210708

最新のコメント:2 年前 | 投稿者:Robert Swann de Schumann

コメント 追記 出典を追記せずに逆切れしているようにとられるのも嫌なので、オモテのコメントに、念のため2点追記しておきます。

1点目。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考#投票の仕方には、「記事の問題点は、その箇所や改善策を具体的に指摘してください。主観を交えず、出来る限り客観的な批評を行ってください」とあります。このルールに照らし、Robert Swann de Schumannさんの除去票は具体性を欠いており、改善しようにも改善のしようがないため、お尋ねした次第です。なお、先行研究に基づく指摘をお願いしているのは、そうではない印象論に基づく疑問(「こういう記事にはこういうのがあるのが普通じゃないの?」的なもの)であるならば、(この記事に限らず)まずはノートページで疑問を提起し、議論の結果を踏まえて(または反応がないなら、反応がないという事実を踏まえて)対応するのが筋だろうと思うからです。また、単なる印象論であるならば、「主観を交えず、出来る限り客観的な批評を」というルールにも反します。

2点目。出典については「以下、本稿での書誌的な記述は特に断りがない限りChomarat [1989], Benazra [1990] を基にしている。」とある通り、まとめたために少ないですが、独自研究を書いたわけではないので、当然、具体的にご指摘いただければ、ほぼ全部、容易に出典を追記できます(「全部」と言わないのは、14年も前の加筆ですので、出典を思い出せない箇所や、思い出せるけれど本棚のどこにしまい込んだか分からない文献に依拠している個所が混じっている可能性もあるためです、念のため)。しかし、この記事には出典の明記テンプレをはじめ、改善を促すテンプレは貼られていませんし、ノートで問題点が提起されたこともありませんでした。何のアクションも取らずに、「今後も改善の見込みがない」とどうやって判断したのでしょうか。

現在のGA基準に照らせば、あまり歓迎されない出典提示の仕方だということ自体は確かにその通りだと、私も思います。しかし、要出典タグを貼って長期間にわたって改善がなかったなどの合理的な理由があるならまだしも、改善を促すアクションがなにひとつ取られることのないまま、具体性を欠く除去票のみで再選考の場に持ち込まれることには強い違和感があります。「記事の質を改善するため」というのがGAやFAの根本精神だと思いますし、Wikipedia:秀逸な記事の選考にも「ウィキペディアの百科事典としての価値を高めることを目的としています」とあります。このような再選考の提出の仕方は、その精神に合致するでしょうか。

14年前に比べて出典要求その他の基準が厳格になっている。それはその通り。であるならば、当然それに基づいて選考・再選考に参加する者もまた、ルールに厳格に則って投票すべきではないかと思うのですが、違いますでしょうか。

出典を追記するには吝かではありませんが、まずはRobert Swann de Schumannさんのご見解を伺いたく思います。--Sumaru会話2021年7月9日 (金) 15:35 (UTC)返信

お返事ありがとうございます。いやはや、完全に印象で語ってしまってました、ルール違反のほど、深く反省します。本当に申し訳ありません...。--Robert Swann de Schumann会話2021年7月9日 (金) 16:31 (UTC)返信
Robert Swann de Schumannさんへ さて、すでに上記コメントから半日以上経過していますが、その「深く反省」するという「ルール違反」のオモテのコメントについて、何の訂正も追記もないまま放置しているのは、一体どのようなご見解によるものでしょうか。--Sumaru会話2021年7月10日 (土) 12:50 (UTC)返信
再選考提出者のコメントにおいて具体的な指摘が不十分なのは同感であり、再選考提出者のRobert Swann de Schumannさんは今後再選考を提出するときにルールに従うように、またより慎重にコメントしていただければと思います。しかしながら、Sumaruさんのコメント内容には今後の参考とすべきでない内容が含まれると判断しているため、一応指摘しておきます。
おそらく、Sumaruさんは「自分で改善」、「問題テンプレート貼り→改善→問題テンプレート除去」または「ノートページで議論提起→議論を経て改善」が筋だと考えています(この認識が間違っている場合はご指摘ください)。
しかしながら、「再選考提出→改善→除去票取り下げ」でも特に問題はなく、何らかのルールによって禁止されているわけではありません。今回のように最初のコメントが不明瞭な場合は、「再選考提出→質問→改善すべき点の指摘→改善→除去票取り下げ」という流れになります。今回は、改善すべき点の指摘がkaru1231さんにより行われた形になります。
したがって、Robert Swann de Schumannさんが責められるべき点は「再選考コメントに具体的な問題点の指摘がない」だけです。
その後のコメント放置などについては、選考期間が2週間もある以上、Robert Swann de Schumannさんがほかに投稿をしていることを加味しても、1日も経たずに催促しているのは性急であると言えます。コメント内容も、読む人によっては高圧的と感じられるかもしれません。私は多くの議論に参加していますが、ほかの編集をしている間に(、1日も経たずに)「まだ修正していないのはどういう了見か」などと言われたら、さすがにプレッシャーを感じます。
なお、「今後も改善の見込みがない」の判断、問題テンプレート貼り、ノートページでの議論提起({{良質な記事の再選考}}の貼付を除く)はいずれも良質な記事の選考・再選考の規定になく、これらの行動をしていない状態で再選考を提出すること自体は責められるべきではありません。「GAやFAの根本精神」などを持ち出して、人によって解釈の違う暗黙な規定を追加すべきではないと考えます。--ネイ会話2021年7月11日 (日) 09:20 (UTC)返信
多くの点は見解の相違と考えますので、特に反論は致しません。高圧的と受け取る向きがあった点については、留意いたします。
ただ、1点だけ。
> したがって、Robert Swann de Schumannさんが責められるべき点は「再選考コメントに具体的な問題点の指摘がない」だけです。
この点については同意しません。
この再選考前後のRobert Swann de Schumannさんの選考参加は以下の通りです。
2021年7月9日 (金) 07:57 Wikipedia:秀逸な記事の再選考/酵素 20210523
2021年7月9日 (金) 07:55 Wikipedia:秀逸な記事の選考/郡上一揆 20210704
2021年7月9日 (金) 07:32 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/ユグノー戦争 20210708
2021年7月9日 (金) 07:21 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/暦書 (ノストラダムス) 20210708
2021年7月9日 (金) 07:16 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/通信社の歴史 20210706
2021年7月9日 (金) 07:14 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/ダビデ像 (ミケランジェロ) 20210708
2021年7月9日 (金) 07:13 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/フン族 20210708
2021年7月9日 (金) 07:06 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/ドイツ連邦銀行 20210627
2021年7月9日 (金) 07:05 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/ローテンブルク・オプ・デア・タウバー 20210623
2021年7月9日 (金) 07:03 Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/メナヘム・ベギン 20210622
ものによっては1、2分間隔で投稿されています(テンプレ貼付など、他の編集もしているので、「投稿間隔=読んだ時間」でさえありません)、コメントを書き込む時間も考慮に入れれば、記事を開いてざっとスクロールさせて記事の長さと脚注の数を確認する程度しかしていないと疑いうるものも少なくありません。過去には記事をろくに読まずに推薦したことが一因となってブロックされた利用者もいたように、記事に対する最低限の尊重もできない利用者は明らかに問題です。ウィキペディアが『質も量も最高の百科事典を作るプロジェクト』である以上、GA/FA選考の根本精神の解釈がそこまで乖離するものとは私は考えませんし、選考や再選考の場でろくに記事を精査しもしないで票を投じることが正当化されるとも思いません。その意味において、「Robert Swann de Schumannさんが責められるべき点」はもっと根が深いものである、と私は考えています(少なくとも現状では、とくにコメント依頼やブロック依頼までは考えていませんが)。--Sumaru会話2021年7月11日 (日) 10:39 (UTC)返信
Robert Swann de Schumannさんの改善すべき点に「記事の全文をよく読んだ上で、どのように手を加えれば良質な記事にふさわしくなるか、問題点を具体的に指摘する」があるのはSumaruさんも私も同意できると思います。しかし、「記事に対する最低限の尊重もできない」「再選考の提出の仕方がGA/FA選考の精神に合致しない」といった曖昧な批判をしてはRobert Swann de Schumannさんも改善が難しく、問題の解決にはつながらないというのが私の見解です。
1、2分間隔の投稿については、ローカルでコメントを準備してから投稿しているなど色々と合理的な理由がありますが、問題点を具体的に指摘していない再選考を提出している以上、疑いをもたれるのは仕方がないでしょう。今後Robert Swann de Schumannさんに「記事の全文をよく読んだ上で、どのように手を加えれば良質な記事にふさわしくなるか、問題点を具体的に指摘する」ことができれば、このような推測をされることもなくなるのではないかと思います。--ネイ会話2021年7月11日 (日) 12:11 (UTC)返信
さまざまなご意見、ありがとうございます。もし次にコメント等する際は、その辺に関してかなり注意を払ってやりたく思います。--Robert Swann de Schumann会話2021年7月11日 (日) 12:26 (UTC)返信
プロジェクトページ「良質な記事/良質な記事の再選考/暦書 (ノストラダムス) 20210708」に戻る。