Wikipedia:秀逸な記事の選考
秀逸な記事の選考は秀逸な記事に掲載するのにふさわしい記事であるか選考する場です。ウィキペディアの百科事典としての価値を高めることを目的としています。優れた記事の推薦と、それらの査読と批評を歓迎します。
可否は投票によって決定されます。投票または推薦の前にルールに一通り目を通すようお願いします。コメントは記事そのものの質について行って下さい。ルールについてのご意見はこのページのノートにどうぞ。
選考ルール
秀逸な記事の目安
以下に秀逸な記事の目安を挙げます。「秀逸な記事」への推薦や、推薦された記事へコメントする際の参考としてください。
- 高い完成度で文章や構成がよくまとめられている。(可能なら)図や画像や表なども使われ、説明を補助している。
- 詳しくない読者にもその主題について理解できるように、わかりやすく書かれている。ただし、高度に専門的な主題を扱ったものであれば、関連記事を読んで理解していることを前提にするのは問題ない。
- 必ず説明されるべき点から主な関連事項までが含まれ、内容が充実している。ただし、どこまでを含むかは他の記事との連携・分担関係にもよる。
- 専門的な資料から関連資料に至るまで、主題についてよく調査されている。
- 観点の中立性が保たれている。
- 必要な出典が記事全体を通して十分に挙げられており、個々の記述の根拠が脚注や本文中で明らかにされている。特に、肯定的・否定的・主観的な表現については出典が付けられていることが望ましい。
- 以上の点が全て満たされている。
他にWikipedia:素晴らしい記事を書くにはやWikipedia:完璧な記事も参考になるでしょう。
推薦の仕方
素晴らしい記事を書き上げたり見つけたりしたら、「秀逸な記事の目安」に照らし合わせながら、もう一度じっくりと全文を読み直してみて下さい。その上で十分に秀逸であると思ったならばこのページで推薦して下さい。査読依頼で他の人の意見や評価を受け、それらを内容に反映させてから推薦するとより良いでしょう。まだ「秀逸レベル」ではないけれど、みんなに見てもらいたい、という場合は良質な記事の選考に提出すると良いでしょう。
ユーザー登録しており、かつ以下の条件を満たす利用者が推薦できます。
- 初めて編集した時から1か月以上を経過していること
- その間、標準名前空間(記事名前空間)の編集回数が50回以上あること
自薦・他薦は不問です。自薦の場合はその旨を述べて下さい。
1人の利用者が同時期に推薦できる記事数は3つまでです。これは「秀逸な記事の選考」のページに同一人物の推薦した記事が4つ以上あってはならないことを意味します。推薦したい記事が4つ以上ある場合は、まず3つを推薦し、いずれかの選考が終了した時点で、4つ目以降の推薦を順次行ってください。
投稿の仕方はまず、上記のボックスに記事名を入力して(末尾の日付は推薦した年月日であり、そのままにしてください)、「選考ページを作成」のボタンをクリックします。すると、ページ作成画面が選考ページのひな型つきでロードされるので、そのひな型を編集して投稿してください。推薦理由にはなぜその記事を推薦するのか、客観的かつ簡潔に書いて下さい。選考ページのひな形は下記の通り。
サブページを作成したら、この選考をより多くの人に知ってもらうために、以下の三点を行ってください。
- 下の「選考中の記事」リストの一番上に
{{Wikipedia:秀逸な記事の選考/選考対象記事名_yyyymmdd}}
を追加して、選考サブページを読み込むようにします。 - Template:選考中の記事・画像一覧の選考中の記事リストに追加。
- 選考対象記事のノートページに{{秀逸候補}}を貼付。
投票の仕方
投票権があるのは、選考開始時点でその選考の記事推薦資格を満たしている登録利用者です。ただし、推薦者は自分が推薦した記事の選考には投票できません。不適切な多重アカウントは投票できません。
投票権があれば編集に関わった人でも投票できます。投票権のないユーザーの投票はコメントとして扱われます。不適切な多重アカウント・ブロック逃れについては投票・コメントとも無効とされ、除去されます。ただし、選考終了後にさかのぼっての取り消しは行われません。
なお、以下の説明における票の無効化、選考期間の延長、早期終了 、選考終了などの各種手続を実行できるのは記事推薦資格者のみです。
コメントの際には以下の形式を用いて下さい。
- *(賛成): 《的確なコメント》~~~~ - 現状で問題ないとき。ただし全文をよく読んだ上で投票すること。
- *(条件付賛成): 《的確なコメント》~~~~ - あと少し手を加えれば賛成しても良いとき。
- *(保留): 《的確なコメント》~~~~ - 大幅に手を加えなければ賛成できないとき。
- *(反対): 《的確なコメント》~~~~ - 決定的な問題があるとき。
- *(その他):《的確なコメント》~~~~ - その他秀逸な記事の選考に関するコメントを行うとき。
投票・コメントの際は署名を忘れずに。条件付賛成・保留・反対票を投じる際は、執筆者に改善方法が伝わるように、できるだけ具体的な問題点を指摘してください。賛成の場合も他人が納得するであろう評価をしてください。投票には好みや主義、執筆者・推薦者に対する意見、副次的な影響等を含めないでください。記事*そのもの*に対する客観的な意見をお願いします。詳しいコメントや議論は当該記事のノートで行って下さい。コメントした人はできるだけ議論に参加し、意思表示をすることが望まれます。なお、意見を変更する場合は、削除ではなく <del> ... </del>
を使って訂正してください。
秀逸な記事にふさわしいかどうかは上の「秀逸な記事の目安」が判断の手助けとなるでしょう。あなたがその記事の専門家なら是非意見を書いていって下さい。あなたの意見でその記事がより良いものになるはずです。そして、できることなら記事の編集に参加してみてください。
票の無効化
他の利用者によって異議申立てがなされ、合意によって票を無効とすることがあります。
- 条件付賛成、保留、反対票は、票を投じた利用者が受け入れなくとも、他の参加者が「挙げられた問題点が十分改善された、または対応が不要である」と合意した場合は無効とされます。
- 賛成票も、票を投じた利用者が受け入れなくとも、他の参加者が「不適当な理由による賛成票」と合意した場合は無効とされます。
- 無効に賛成するのが異議申立て者のみであっても、2週間以内に返答がないときは合意がされたとみなすこともできます。
- いずれの場合でも十分に客観的な意見を述べるようにしてください。
選出基準
「賛成票が3票以上」かつ「賛成票が全体票数の3/4以上(75%以上)」の状態(以下、選出条件と呼ぶ)が1週間継続した場合、選考通過となります。ただし、この1週間の間に賛成票への異議申立てがあった場合には、
- 申立てから2週間以内にその賛成票を無効とする合意が形成されれば、票を無効として選考を継続します。
- 申立てから2週間以内に合意が形成されなければ、票を有効として選考通過となります。
- ただし、票の無効・有効の決定に関わらず、新たな投票や既存票の変更がなされ、これらに対し異議申し立てなく選出条件が1週間継続すれば、その時点で選考通過で終了となります。
全体票数とは賛成票・条件付賛成票・保留票・反対票を合わせた総数のことで、その他・コメントなどは除きます。選出条件を満たした時点で、期限まで1週間を切っていた場合については#選考期限と延長を参照ください。
選考期限と延長
基本的な選考期間は最大3か月です。以下の条件に該当する場合は、選考期間を3か月から延長します。
- 「推薦から3か月」の期限まで残り1週間を切ってから賛成票が投じられ、選出条件を満たした場合、全ての賛成票に異議申立て期間を与えるために最後の賛成票が投じられた時点から1週間後まで延長します。
- 延長中に賛成票への異議申立てがなければ選考通過とします。
- 申立てがあった場合は、#選出基準に示された規定に従って申立てからさらに2週間延長して、票を無効とするか有効とするか合意によって決定します。
- 推薦から3か月経過後は新規投票はできなくなり、コメントか、既に投じられた票の変更のみが可能となります。
- 「推薦から3か月」の期限まで残り2週間を切ってから条件付賛成票・保留票・反対票が投じられ、選出条件を満たさなくなった場合、または、「推薦から3か月」の期限まで残り2週間を切ってから、条件付賛成票・保留票・反対票の投票内容について質問(またはそれに対する回答)があった場合、反対意見に対応するための期間として選考を1か月延長します。
- 推薦から3か月経過後は新規投票はできなくなり、コメントか、既に投じられた票の変更のみが可能となります。
- 「推薦から4か月」の延長期限まで残り1週間を切ってから賛成票への変更が行われ、選出条件を満たした場合、上記の1と同じように再延長します。
- 「推薦から3か月」が経過した時点で、賛成票が1票以上で、かつ他の票がない場合、選考期間を1か月延長します。
- 以下の3項目の実施を行ってください。
- 選考中の記事リスト中での位置を、一番上に移動します。
- アナウンス欄に追加します。
- Wikipedia:お知らせとTemplate:選考中の記事・画像一覧で告知します。
- 「推薦から4か月」の延長期限まで残り1週間を切ってから賛成票が投じられ、選出条件を満たした場合、上記の1と同じように再延長します。
- 「推薦から4か月」の延長期限まで残り1週間を切ってから条件付賛成票・保留票・反対票が投じられ、選出条件を満たさなくなった場合、上記の1と同じ理由にもとづいて、最後の条件付賛成票・保留票・反対票が投じられた時点から1週間後まで延長します。
- 延長中に条件付賛成票・保留票・反対票への異議申立てがなければ選考不通過で終了となります。
- 申立てがあった場合は、申立てからさらに2週間延長して、票を無効とするか有効とするか合意によって決定します。
- 推薦から4か月経過後は新規投票はできなくなり、コメントか、既に投じられた票の変更のみが可能となります。
- 以下の3項目の実施を行ってください。
早期終了
下記の条件を満たすとき、選考終了予定日を待たずに選考は早期に終了されます。注意:賛成票に条件付賛成票や保留票は含まれません。
- 反対票のみが3票以上集まり、その状態が1週間継続した場合。現時点では通過の見込みがないものとして選考終了となります。
- 賛成票がない状態で、推薦者が取り下げ意思を示した場合。取り下げとして選考終了となります。
- 推薦者が不正な多重アカウントとして無期限投稿ブロックを受け、他利用者による有効な賛成票がない場合。推薦無効として選考終了となります。
「批判」について
秀逸な記事に仕上がるためには厳しい批判の視点が必要です。ここで言う批判とはその記事をより良くするために行う指摘のことです。決して他人を攻撃することではありません。記事の内容に関して常に中立的な視点からコメントを行って下さい。お互いに敬意を払うことを忘れず、最低限の礼儀は守るようにして下さい。これらは建設的な議論を行うために必要なことです。
批判によって気分を害する人もいるかもしれません。しかし、その批判が意図することを冷静に受け止めて下さい。おそらくそれによってより良い記事に仕上がるはずです。こうして批判をくぐり抜けた質の高い記事が増えることで、ウィキペディア全体の質が向上することでしょう。
選考中の記事
現在時刻: 12月 2日 月曜日 20:12 (UTC) (
)賛成/条件付賛成/保留/反対 0/0/0/0 この項目の選考期間は、2025年2月21日 (金) 12:15 (UTC)(2025年2月21日 (金) 21:15 (JST))までです。
- (推薦)1873年に熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳から出土した、銀象嵌による75文字の銘文が刻まれた大刀です。日本の古代史における希少な文献資料として、日本のみならず東アジアの古代史の重要資料とされています。良質な記事選考通過後に査読依頼でご意見を頂き、より完成度が高くなったと判断して秀逸な記事選考に出したいと思います。よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2024年11月21日 (木) 12:15 (UTC)
- 戦前からごく最近のものまで幅広い資料をまとめた、非常に充実した記事となっているものと考えます。
- 「形態」節に銘文の書き起こしがありますが、丸括弧でかこまれた漢字については「おそらくこう読む」程度のニュアンスで理解してよいのでしょうか。
- 「江田船山古墳」節についてですが、清原古墳群全体の性質およびそのなかでの江田船山古墳の立ち位置についての記述もあれば嬉しいなと思いました(どちらかといえば江田船山古墳側に記述すべきことかもしれませんが…)
- 「戦前の研究史」節に「論文の中で福山は銘文内の大王を「𤟱□□□歯大王」と読み、 反正天皇(タジヒノミズハワケ・タジヒノミツハワケ)であると主張した」とありますが、反論もふくめ、タジヒノミズハワケ/タジヒノミツハワケに「蝮之水歯別」の漢字が宛てられることを知らなければ読みづらい記述だと思います。
- 「戦後の研究史」節に「蓋鹵王説への批判としては……銀象嵌銘大刀に蓋鹵王の文字を刻むことは考えられないとの意見があり…」「金錯銘鉄剣の発見後、銀象嵌銘大刀の銘文も「獲□□□鹵大王」であり、ワカタケル大王すなわち雄略天皇のことを指すという説が唱えられるようになる」「なお、東野の釈読に関しては、強引な解釈や判読不能な文字を無理に読もうとしている部分がみられるとの批判がある」「中でも後述の「八十練、(九)十振」の部分の「振」は「捃」と釈読するのが多数説であり、東野の釈読に無理があると指摘されている」という記述がありますが、単純な事実というわけではなさそうなので、誰の説であるのかの帰属化が必要と思います。
- 同節に「クリーニング後、東野治之は銘文の釈読を行い、「獲」は「𤟱」ではなくて「獲」の異体字と断定してよく」とありますが、やや不自然であり、最初の「「獲」は…」の部分は「この文字は…」といった表現に置き換えたほうがよいかなと思います。
- 「解釈と評価」節「なお、文字を表記や表現をするために使用する前段階として、呪術的な機能を持つものとして認識されていたと考えられ…」についても、帰属化が必要と考えます。
--Nux-vomica 1007(会話) 2024年11月27日 (水) 12:13 (UTC)
- 返信 Nux-vomica 1007さん、ご意見どうもありがとうございます。改めて資料を読み込んで対応したいと思いますので、少々お時間をいただければと思います。よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2024年11月27日 (水) 21:11 (UTC)
- コメント改めて資料を取り寄せている最中ではありますが、手持ちの資料でNux-vomica 1007さんのご意見に関して対応してみましたので、ご確認よろしくお願いします。
- 「形態」節の銘文の書きおこしに関しては、丸括弧でかこまれた漢字については「おそらくこう読む」程度のニュアンス(というか、そう読むと思うのだけど確証が持てない)で大丈夫です。
- 清原古墳群の簡単な説明と、古墳群の中で江田船山古墳がいつ頃築造されたのかを加筆してみました。どうも清原古墳群全体について紹介した良い文献が見つからず、手持ちの資料で古墳群について触れられたものを用いて加筆をしたのですが、今後、江田船山古墳本体の本格加筆も検討しておりますので、引き続き資料を探していきたいと思います。
- 銀象嵌銘大刀の大王の旧説である反正天皇説ですが、銘文の冒頭部分を「治天下𤟱宮弥都歯大王世(弥都の字は別の字をあてた可能性あり)」などとして「タヂヒの宮に天の下治ろすミヅハの大王の世」と大王の宮と名前をセットにした形で釈読する説でしたので、そのように記述してみました。
- 「戦後の研究史」節に「蓋鹵王説への批判としては……銀象嵌銘大刀に蓋鹵王の文字を刻むことは考えられないとの意見があり…」「なお、東野の釈読に関しては、強引な解釈や判読不能な文字を無理に読もうとしている部分がみられるとの批判がある」「中でも後述の「八十練、(九)十振」の部分の「振」は「捃」と釈読するのが多数説であり、東野の釈読に無理があると指摘されている」の、3点のご指摘に関しては説を唱えた人物に関しての帰属化を行い、あわせて文章の推敲を行いました。
- 「金錯銘鉄剣の発見後、銀象嵌銘大刀の銘文も「獲□□□鹵大王」であり、ワカタケル大王すなわち雄略天皇のことを指すという説が唱えられるようになる」の部分ですが、実はこの記述の帰属化が難問です。金錯銘鉄剣の発見後、これまでの反正天皇説から文字通り一夜にして雄略天皇説に変わってしまったというのが実態だからです。とりあえず手持ちの資料で金錯銘鉄剣の発見後に雄略天皇説となった専門家の名前を列挙する形としてみました。実際問題として反正天皇説に対して金錫亨が指摘した銘文の内容との矛盾、江田船山古墳の副葬品と百済の武寧王陵の副葬品との類似から李進熙が指摘した年代面の矛盾の指摘はともに的確であり(お二人が唱えた蓋鹵王説も矛盾が多いのですが……)、反正天皇説に無理があることが日本の古代史の学会内部でも感じられるようになる中での金錯銘鉄剣の発見だったので、あっという間に定説が変わってしまったということなのだと思います。このあたりは資料を取り寄せていますのでもう少し加筆できるかと思います。
- 「クリーニング後、東野治之は銘文の釈読を行い、「獲」は「𤟱」ではなくて「獲」の異体字と断定してよく」の部分は、表現を改めてみました。
- 「解釈と評価」節「なお、文字を表記や表現をするために使用する前段階として、呪術的な機能を持つものとして認識されていたと考えられ…」についても説を唱えた人物に関して帰属化を行い、あわせて文章の推敲を行いました。--のりまき(会話) 2024年12月1日 (日) 06:26 (UTC)一部修正--のりまき(会話) 2024年12月1日 (日) 06:39 (UTC)
- ご対応ありがとうございます。今後も加筆のご予定があるとのことですが、とりまず懸念していた点についてはすべて解消されたと考えます。
- 五月雨式で申し訳ないのですが、井上光貞・大野晋・岸俊男ら (1979)、亀井(1979)、熊本県文化財保護協会(1986)、佐藤(2024)を確認いたしました。おおむね記事との齟齬はなかったのですが、「修理保存について」節「銀象嵌銘大刀は、銀によって象嵌がなされていて文字部分に錆が出来やすい。しかし錆を落とす目的で研ぐと象嵌の剥落を起こす恐れがあると考えられたため、安全に錆を落とす方法が確立されるまでできる限り手を加えずに保存されていた」には出典にない情報が含まれているように見えます。いかがでしょうか(脚注22由来の情報でしょうか?)。--Nux-vomica 1007(会話) 2024年12月1日 (日) 23:36 (UTC)
- Nux-vomica 1007さん、ご指摘どうもありがとうございました。結論からするとページの指定ミスでした。該当部分(p.4)を抜粋しますと、「……銀象嵌太刀は、象嵌が銀であるため文字面の銹化が早く、度々文字を研ぎ出すと銀に摩耗をきたし、象嵌文字の剥落等を起こすおそれがある……安全な方法が考えられるまで、できるかぎり研磨等の手を加えず保存し」となります。修正いたしましたのでご確認よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2024年12月2日 (月) 09:56 (UTC)
- 賛成 修正を確認いたしました。賛成票を投じます。--Nux-vomica 1007(会話) 2024年12月2日 (月) 12:19 (UTC)
- Nux-vomica 1007さん、ご指摘どうもありがとうございました。結論からするとページの指定ミスでした。該当部分(p.4)を抜粋しますと、「……銀象嵌太刀は、象嵌が銀であるため文字面の銹化が早く、度々文字を研ぎ出すと銀に摩耗をきたし、象嵌文字の剥落等を起こすおそれがある……安全な方法が考えられるまで、できるかぎり研磨等の手を加えず保存し」となります。修正いたしましたのでご確認よろしくお願いいたします。--のりまき(会話) 2024年12月2日 (月) 09:56 (UTC)
賛成/条件付賛成/保留/反対 1/0/0/0 この項目の選考期間は、2025年1月16日 (木) 19:33 (UTC)(2025年1月17日 (金) 04:33 (JST))までです。
- (推薦)2024年10月16日に良質な記事の選考を通過した記事です。主題について非常に充実した調査・記述がなされており、秀逸な記事の基準を十分に満たすものと考えています。--Nux-vomica 1007(会話) 2024年10月16日 (水) 19:33 (UTC)
- 賛成 ここであんまり何も言わないと「特に考えもなしに!」と思われそうですが、私はこの記事は秀逸な記事にふさわしいと思います。私は「不幸のメール」しか知りませんでしたが、以前から手紙という媒体で似たようなことがあったこと、詳しい歴史などが記されていて読んでいて面白かったです。特に神社仏閣では不幸の手紙を供養していたこととかはとても興味深い話だと思います。
一つ思うのは「不幸の手紙を受け取った著名人」節。「作曲家の古関裕而と声楽家の古関金子の夫妻も、不幸の手紙を受け取っている[94]。古関裕而は、戦時中に中国へ出征する直前に受け取った[94]。」とありますが、受け取ったのは不幸の手紙ではなく幸運の手紙なのでは?(もしかすると戦時中から不幸の手紙があったのかもしれませんが、記事中には「70年代頃から」のみなので、そこらへんが気になります)。
もっといったら「古関裕而#太平洋戦争中」やその前後にも一切中国に出征したと書かれていないので、「ほんとに受け取ったの?」とは思います。
ちなみにですが「[1]」を読んだところ「古関裕而は昭和13[1938]年、西条八十といっしょに中国大陸を旅行したが、」と記述されており、日中戦争の前線を西条八十らと見に行ったそうです。--仙人です(会話) 2024年11月24日 (日) 01:21 (UTC)- 返信 リダイレクト起こしでの初版投稿者です。細部までのご査読、ありがとうございます。
- 確かに「1960年代または1970年代から流行」としているのに、「古関裕而が戦中の出征直前に受け取った」とするのは変でしたね。古関ご夫妻の逸話にまつわる出典、脚注94『読売新聞』1978年6月20日東京朝刊20面の記事「不幸の手紙 黙殺こそ撃退法 他人に出しちゃダメ」では、古関金子さんが1978年に受け取った手紙の文面が「コレハ不幸ノ手紙ト云ッテ」と引用されており、こちらは確実に不幸の手紙です。
- 続きまして肝心の古関裕而氏ですが、同新聞記事で古関金子さん曰く
- 主人は戦時中、軍の報道委員として中国に行ってました。例の手紙を、その前に受け取ってましたが、こうして無事ですものね。
- とあります(上記新聞記事より引用)。「例の手紙」とあるだけで「不幸の手紙」とは書いておらず、どんな文面かも記述がありません…… 仰るように、ひょっとすると古関裕而氏が受け取ったのは「幸運の手紙」の方であり、金子さんはその幸運の手紙を指して「例の手紙」と述べているのかもしれません。もっとも、この新聞記事は不幸の手紙に関する記述のみで、「幸運の手紙」「幸福の手紙」という記述は一切ありません。なお古関裕而の記事中に中国云々の記述はありませんが、ヒロシマ平和メディアセンターの記事に「古関は中支や南方、インパールに報道班、慰問団として派遣された」とありました(中支は現在の中国の華中)。
- 改訂案を考えてみています。
- 声楽家の古関金子は、1978年(昭和53年)6月15日の読売新聞の読者投稿欄で、不幸の手紙を数回受け取り、そのつど破ってごみ箱に捨てた体験を披露して、「不幸の手紙を破る勇気を持つように」「不幸と思えることも、心豊かにファイトをもって努力すれば、必ず良運となると私は信じている」と述べた。この古関金子の対応は読売新聞の同1978年6月20日の都民版でも、「不幸の手紙 黙殺こそ撃退法」として大きく取り上げられた。同記事によれば、金子のもとに不幸の手紙が届いたのは、夫で作曲家の古関裕而の退院直後であり、入院患者やその家族がこの手紙を受け取ったときの心情を想ったことが、投書の動機だという。また金子によれば、古関裕而も戦時中に中国へ出征する直前に同様の手紙を受け取ったが、戦地から無事に帰国して作曲家として名を成したことで、こうした手紙に何の力もないことと、たとえ受け取って不快な気持ちになっても「災い転じて福となすの精神で乗り越えてほしい」と、読者に対しての激励の言葉を、紙面で訴えた。(後略)
- ……と書いていて思ったのですが、「例の手紙」としか書かれていないものを、不幸の手紙や幸運の手紙の類とみなすのはWP:ORかと思い
- 声楽家の古関金子は、1978年(昭和53年)6月15日の読売新聞の読者投稿欄で、不幸の手紙を数回受け取り、そのつど破ってごみ箱に捨てた体験を披露して、「不幸の手紙を破る勇気を持つように」「不幸と思えることも、心豊かにファイトをもって努力すれば、必ず良運となると私は信じている」と述べた。この古関金子の対応は読売新聞の同1978年6月20日の都民版でも、「不幸の手紙 黙殺こそ撃退法」として大きく取り上げられた。同記事によれば、金子のもとに不幸の手紙が届いたのは、夫で作曲家の古関裕而の退院直後であり、入院患者やその家族がこの手紙を受け取ったときの心情を想ったことが、投書の動機だという。金子は、たとえ受け取って不快な気持ちになっても「災い転じて福となすの精神で乗り越えてほしい」と、読者に対しての激励の言葉を、紙面で訴えた。(後略)
- と、いっそ古関裕而氏の受け取った手紙のことをカットした方が良いか?とも考えています。
- なお不幸の手紙の出現節の出典にあります各種記事・書籍でも、戦中に不幸の手紙があったとする記述は見つかっていません。特に神奈川大学准教授の丸山泰明氏[2]は、大正時代以降の新聞まで持ち出して、幸運の手紙・不幸の手紙のルーツを調べておられますので、もし戦中にも不幸の手紙があれば、それを見逃すことは考えにくい、と思っています。--逃亡者(会話) 2024年11月25日 (月) 13:22 (UTC)
- コメント 返信ありがとうございます。裕而は報道団や慰問団として多くの戦地に訪れていたのですね。成程。裕而氏の手紙については「例の手紙」であったこともわかりました。
- 私は性格的に実はあまり「著名人の~~」「著名な~~」といった節を嫌っています。正直ここを詳細に書く必要はあるのだろうか・最後にマメ知識程度で載せるのが良いのではないか、と思うタイプです。あとで「このお方が何で入ってないんだよ!」と言われた時に著名人がどこから著名人か判断するのが難しかったりするからですね。
- 「不幸の手紙を受け取った著名人」節も、私は正直、丸ごとカットするか、箇条書きで簡単な文にして最後の方に持ってくるのがいいかなと思います。ただ、著名人の不幸な手紙に対する考え方は興味深いので、カットするのは...という感じです。
- 「古関裕而氏の受け取った手紙」については私は「幸福な手紙」だと思います。「主人は戦時中、軍の報道委員として中国に行ってました。例の手紙を、その前に受け取ってましたが、こうして無事ですものね。」というのも幸福の手紙にある「これを送らなかったら逆にあなたは不幸になりますよ」というところだと思いますが、逃亡者さんが仰られるように、そこまで予想するのはWP:ORかなと私も思います。
- --仙人です(会話) 2024年11月27日 (水) 05:48 (UTC)
- 返信 ご意見ありがとうございます。賛成票をいただいていますので、著名人の節に関しては「どうしてもそうした方が良い」というほどではないか、と解釈しております。
- 不幸の手紙を受け取った著名人と幸運の手紙を受け取った著名人は、当初は反響および幸運の手紙の反響節に書いておりましたが、いろいろ書き足したら長くなり、「著名人」として節をわけた、と記憶しております。
- 個人的には古関金子氏や、池上季実子氏、さらには幸運の手紙を受け取った今北策之助氏(大蔵省専売局長官)は、当時の新聞・雑誌で大きく取り上げられていることから、不幸の手紙や幸運の手紙が、単なる悪戯、迷信、都市伝説に留まらず、新聞・雑誌を賑わすほど社会に大きな影響を与えたものとして、特筆に値するかなと思い、書いた次第です。そういった意味では、細川智栄子氏、サトウサンペイ氏あたりはそれほど影響というものでもないかな…と思い直しています。先の古関裕而氏の件はまだ改訂案を練り直しており、改訂の際に細川氏&サトウ氏はカットするかもしれないです。仰るように著名人について「このお方が何で入ってないんだよ!」と、他のご意見がありましたら、出典上でそれがどのていどの大きさで扱われているか、社会に対してどのような影響を与えたか、次第かと存じます。--逃亡者(会話) 2024年11月30日 (土) 04:09 (UTC)
選考終了後の処理
通過した場合
- 選考サブページに選考通過の旨を記入します。
- Wikipedia:秀逸な記事の選考(このページ)冒頭で通過をアナウンスし、選考通過予定のアナウンスは除去し、選考サブページも除去します。
- 当該項目のノート先頭の{{秀逸候補}}を除去し、{{選考審査の記録}}を付けて結果を記入します。すでに{{選考審査の記録}}がつけられている場合は結果を追記します。詳しい使用方法は{{選考審査の記録}}の説明を確認ください。
- 当該項目の記事本文に{{Featured article}}というテンプレートを配置します。これにより秀逸な記事の右上隅にその証である小さな星( )が表示されます。 {{Featured article}}を設置する場所はデフォルトソートの直上が好まれています。 {{Good article}}があれば取り除いて下さい。
- Wikipedia:秀逸な記事に当該項目を追加します。
- Wikipedia:秀逸な記事の選考/選考結果リストに当該項目の選考サブページへのリンクを追加します。
- 当該項目が良質な記事であった場合、良質な記事のリストより秀逸な記事となった記事を除去します。(数字の変更も必ずしてください)また、Wikipedia:良質ピックアップから当該記事要約を除去し、{{良質スケジュール}}を解説サブページに書いてある通りに調節します。
- Template:最近のウィキペディアで新しく秀逸入りしたことを告知します。
- Template:選考中の記事・画像一覧から当該選考の告知を取り除きます。
- [[Wikipedia:秀逸ピックアップ/記事名]]を作成します。(メインページに選り抜き記事として紹介される文章です。)
- Wikipedia:秀逸ピックアップに作成した[[Wikipedia:秀逸ピックアップ/記事名]]を追加します。
- Template:秀逸スケジュールに通過した記事を追加します。秀逸入りした記事はタイミングを計ってTemplate:秀逸スケジュールの調整用数字の変更により調整してメインページ掲載に出来ます。その際には翌日の同じ時刻に本来の掲載順に戻す事を忘れないで下さい。Template:秀逸スケジュールを変更する場合は最初に[キャッシュ破棄]していないと上手くいかないことがあります。
- ウィキデータにおける記事のSitelinkにFeatured articleバッジを割り当てます(バッジを割り当てるには少なくともWikidataの自動承認された利用者である必要があります)。
以上の作業を行う順番は必ずしも上から順に行う必要はありませんが、Template:秀逸スケジュールの変更に関してはタイミングは考慮して下さい。
通過せず選考終了の場合
- 選考サブページに選考不通過の旨を記入します。
- Wikipedia:秀逸な記事の選考(このページ)冒頭にその選考に関するアナウンスがあれば除去し、選考サブページを除去します。
- Template:選考中の記事・画像一覧から告知を取除きます。
- 当該項目のノート先頭の{{秀逸候補}}を除去し、{{選考審査の記録}}を付けて結果を記入します。すでに{{選考審査の記録}}がつけられている場合は結果を追記します。詳しい使用方法は{{選考審査の記録}}の説明を確認ください。
- Wikipedia:秀逸な記事の選考/選考結果リスト に当該項目の選考サブページへのリンクを追加します。
改善されたと思ったなら何度でも推薦できます。
再選考
秀逸な記事に既に選ばれているものの中で、「これはおかしいのでは?」と思うものがある場合、秀逸な記事の再選考で再選考を行うことができます。
関連項目
- Wikipedia:秀逸な記事の選考/選考結果リスト - 過去の選考の一覧
- Wikipedia:秀逸な記事の選考/準備室 - 秀逸な記事に推薦を検討している項目を一時的にリストしておく場所です。
- Wikipedia:よくある批判への回答 - 「高い品質を確保するには査読と専門家が必要なのに、ウィキペディアにはそれがない」「多くのウィキペディアの記事は質が悪いし、ピア・レビューもない。自尊心のある知識人は仲間になろうとしないだろう」といった批判に対する回答があります。
- Wikipedia:秀逸な記事の基準 - 英語版における基準の翻訳(参考用の私論)
- Wikipedia:秀逸な一覧の選考