利用者:沙馬琉寛土会話 / 投稿記録 / 記録さんについてコメントを依頼します。--はるみエリー会話2015年8月12日 (水) 12:11 (UTC)[返信]

経緯 編集

沙馬琉寛土さんは、安倍晋三など政治家の記事において、多くの加筆をされています。このような編集をされていて、政治的主張のある方なのかな? 偏った編集をされているな? とは思っていました。また、ノート:安倍晋三で、無差別な収集にあたる過剰な記載の整理を議論していましたが、私の意見をまったく異なる意味に解釈して架空の論をつくりあげ、架空の主張に対して攻撃的な反論をされるものですから、まったく話が噛み合うことがなく困っています。

以下は、安倍首相が発言したヤジに関する記載が必要かどうか、という議論についての直近の主な関連コメントです。

joker様[1]

安部首相のいわゆる「野次」の問題ですが、WP:GNG/SCWP:NOT#NEWSに照らして判断するに、記事に記載すべき特筆性があるとは判断できませんでした。

はるみエリー[2][3]

Wikipedia:井戸端/subj/政治家記事の中立的観点において、Ks aka 98さんが、「数行程度の記事をいちいち反映させる必要はない」「複数のメディアが大きく取り上げている」などと、基準を示してくださっていますので、これを最低条件としましょう。

沙馬琉寛土様[4][5]

「数行以上の出典があるのが最低条件」(私はこのような勝手なルールでのものいいには全く賛同しませんが)
そもそも、「特筆性がある」「ない」とかそういうのはすべて、編集者の主観の問題です。「特筆性がある」と直接的に書いている出典など世の中には普通存在しません。「○○と書いてある[出典]から特筆性がある」という議論はもちろんするわけですが、それは、記事の記載したりすれば明らかな独自研究であって、編集者の主観でしかありません(主観に個人差があるのは当然です)。「○○新聞はこれこれが特筆性がある、と報道した」とかいうことがあれば、それは間違いありませんが、そんなものあるわけないです。存在しないものを要求するのは、明らかに不当かつ過剰な要求であり、議論として成立しません。

関連項目 編集

依頼者のコメント 編集

特筆性を、編集者の主観の問題であると理解しておられる方が、多数の政治家の記事に、独自な基準で執筆を行うことについて、危惧を感じております。また、議論についても、私が主張したとする架空の主張を作り上げられて、本来の主張とは異なる話に対する、主観的反論をぶつけられるだけであり、方針やルールに則った議論も難しいと感じております。「特筆性」を「すべて、編集者の主観の問題」と捉える利用者について、広く話合いの場を設けたほうが良いと思いましたので、コメントをお願いします。--はるみエリー会話2015年8月12日 (水) 12:11 (UTC)[返信]

JapaneseAさんコメントありがとうございます。その昔の編集については、直前にあまりにも多数の要出典が貼られたことと、偏向的なコメントであったために、その前の編集に戻そうとした編集であると思います。私が考えて加筆をしたものではなく、もと書かれていた内容です。また、除去が妥当な内容もあり、その後除去されています。昔はあまり慣れていませんでしたが、最近は、随分慣れてきたので昔とは違います。--はるみエリー会話2015年8月12日 (水) 12:56 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント 編集

こんにちは。数日間のブレークでお返事・コメントが遅れました(申し訳ございません)。はるみエリーさんの抜き出している私の発言とされているものにつきまして、ひとつだけ補足いたします。

「数行以上の出典があるのが最低条件」(私はこのような勝手なルールでのものいいには全く賛同しませんが)

これにつきましては、これだけ見ると問題な発言に見えますが、文脈の中で、「複数の大手出典の数行以上の出典があるのが最低条件」とはるみエリーさんがおっしゃっていたものに対して言ったものです。「1つの大手新聞で1面使った大きな出典があり、それ以外の新聞ではそんなにも大きくは扱われていない」ようなものでも無条件に排除するべきである、というのは行き過ぎだと思います。もちろん、その程度の出典では「絶対載せるべき」にはならないということは当然ですが、少なくとも、「即削除するべき」などというはるみエリーさんの発言が妥当であるとも思いません。ただ、多くの方がコメントされ、発言されていますので、今後はスムーズに議論が進むことを期待します。よろしくお願いいたします。--沙馬琉寛土会話2015年8月17日 (月) 01:39 (UTC)[返信]

第三者のコメント 編集

  ええと、現状、どっちもどっちです。
Wikipedia:独立記事作成の目安は、内容と関係しません。文書の中で明言されてるはずです。「安倍首相のヤジ」という項目を作るなら関係しますが、そういう話ではないですし、そうだとしても複数の第三者情報源で主題として扱われていますから、目安は満たしている(そのうえで、独立項目とするようなものとは思いませんが)。
「国会内でヤジを飛ばすこと」が重要なこともあれば、重要でないこともあります。それは内容や立場や政局に拠るでしょう。ですから、ウィキペディアでは、どれだけ第三者的情報源が得られるかを目安とします。少なくとも情報源が得られなければ書かない、書けない。大手メディアがこぞって取り上げて重要視してるなら書く。その間には大きなグレーゾーンがあり、記事全体のバランスも考慮しながら、議論に参加する人の間で対話によって落としどころを探る。
そこで、「公式発表、スポーツ、タブロイド報道のような日々繰り返されるニュース」「出場した試合、記録した得点、誰かとした握手のすべて」(WP:NOT#NEWS)あるいは「スポーツの試合結果やゴシップ情報、プレス発表」「批評的分析を加えることなく事件や事故をありのままに伝えるニュース報道」(Wikipedia:独立記事作成の目安#ニュース報道等)を超え、複数の新聞が数行では収まらない大きさで記事にしている。新聞記事以外にもNDLサーチでひっかかるものとしてエコノミストの「東奔政走 危うい首相のヤジと強引な答弁 それでもダンマリが続く自民党」[7]、月刊公論「政界展望 政権発足後最大の"危機管理"事態 : 首相野次など失態続出のツケ 慎重審議望む世論拡大 戦後最長の延長国会へ」があります。このほか、過去、首相へのヤジが記事になっているものはありますが、首相のヤジが記事化されているものはみあたりません。
ということは、この話題は、「無差別な収集にあたる過剰な記載」や一過性の話題ではなく、それなりに扱われているのだとして、記事中で触れることになりそうだ、ってことになりそうです。今の版を見ても、記事全体の中でも、それほど大きな割合を占めているわけではなさそうですから、除去するべきではないと考えます。
はるみエリーさんが「無差別な収集にあたる過剰な記載」にあたると判断しているのも、いわば主観なのですよね。一方、沙馬琉寛土さんが勝手なルールだとする「数行以上の出典があるのが最低条件」というのは、ぼくの勝手なルールではなく、ウィキペディアの方針やガイドラインから導かれるラインです。
ウィキペディアでは検証可能であることが求められるのだから、情報源は必須。ただし些細なニュースの存在は、検証可能性を満たすが、ウィキペディアが百科事典であることから、記述すべき理由にならない。複数の第三者的な信頼できる情報源が取り上げていることならば、「過剰な記載」とか「新聞ではありません」では否定できないので、その他に問題が生じなければ記述することになるだろう。その他の問題と言うのは、たとえば時の経過によって名誉棄損になりうるものならば書けないし、有名な私人の有名である理由と関係のない話題ならWP:BLPからは書かないほうがいいものかもしれない。あるトピックを書くことで記事全体として偏ってしまうのならば、バランスを取るようにしないといけない。
なお、「○○と書いてある[出典]から特筆性がある」という議論は、たとえばその出典の信頼性を巡っては行われることもあるのですけれど、「○○と書いてある[出典]から特筆性がある」と記事に書くのはある種独自研究ですが、そういうことを書くことはめったにないでしょう。信頼できる出典が得られるならば記事に「○○」と書くのは独自研究ではない。--Ks aka 98会話2015年8月12日 (水) 18:10 (UTC)[返信]