Wikipedia:コメント依頼/話したくない相手とは話さなくてよいのか

井戸端より移動

話したくない相手とは話さなくてよいのか 編集

問題提起 編集

Wikipedia:コメント依頼/Aphaiaでの議論に注目していたのですが、終わってしまったようなので。Aphaiaさん個人の問題にとどまらず、私は明日は我が身と思って以下のような心配をしています。議論の場としてどこがふさわしいかわかりませんが、とりあえずこちらで問題提起します。

私が誰か(Xさん)とノートかどこかで議論をしていたとします。次の2つのいずれかが起こった場合、私はどうすればよいでしょうか。

  • その1。私が何か理由があってXさんとの話を打ち切りたいと思った時、Xさんは続ける意思が強いとして、私は打ち切ることができるでしょうか。理由としてはいろいろなケースが考えられますが、その理由によって結論は変わるでしょうか。
    • 会話は続いているが平行線であり、議論の進展の見込みがないのでこれ以上の会話は無意味だと(私が)思った時
    • Xさんの発言・態度が気に障り、(私にとって)誠実に応対するのが苦痛になってきた時
    • Xさんが(私にとって)決定的に許せない発言をし、(私が)それ以上会話をしたくなくなった時
    • 議論とは関係ないが、Xさんが私の大嫌いなコミュニティに所属していることが判明し、(私が)会話をしたくなくなった時
    • 議論とは関係ないが、Xさんが私の大嫌いな宗教を信じていることが判明し、(私が)会話をしたくなくなった時
    • 「ちくちく言われるのではやってられない」と(私が)思った時

ここでの要点は、いずれも私にとっては(言い訳ではなく)真剣に苦痛を感じているということと、その苦痛は主観的なものであって他人からはうかがい知れない面があるというところです。これらの場合に、私はどのように言えば、あるいはどのような手順を取れば、Xさんとの会話を打ち切ることが認められるでしょうか。あるいはそれは認められないものでしょうか。

  • その2。私は議論を続けたいと思っているのですが、Xさんが一方的に会話を打ち切ると宣言しました。Xさんは以下のようにその理由を述べましたが、詳細はわかりません。私はXさんの意志に反して議論を続けることができるでしょうか。あるいはそれは不可能でしょうか。
    • Xさんが「あなたの態度が無礼で我慢ならないので議論を打ち切ります」と言った場合
    • Xさんが「私はyyコミュニティをまともな団体と認めていませんので、yyコミュニティに所属しているあなたとは議論を打ち切ることにします」と言った場合
    • Xさんが「私はyy宗教の信者とは話をしない主義です。あなたとの議論は打ち切ります」と言った場合
    • Xさんが「こういうことをちくちくいわれるのではとてもやっていられません。議論は打ち切ります」と言った場合。
    • Xさんが何も言わずに議論に参加しなくなった場合。ただし、その他の編集活動は続けている様子がある。

要するに上の裏返しです。Xさんが上記のような言い方で議論を打ち切りたいと宣言した時に、私にその理由が理解できない場合、どのような対応が可能でしょうか。また、私の側からはXさんがどれだけ真剣かよくわかりません。もしかしたらXさんの口先だけの言い訳ではないかとも取れてしまいます。あるいは自分の側では何も解決しないままそれを受け入れるしかないのでしょうか。皆様のご意見をお聞かせください。Yas 2005年4月21日 (木) 15:14 (UTC)[返信]

感想など 編集

意見というか、感想です。私もこの議論を注視してきました。たしかに内容は行き過ぎた点があり、対話せず冷却期間を置くというのは有りかなと思ってました。しかしコメント提案者の終了宣言が出たとたんに、利用者‐会話:Trek011とかWikipedia:コメント依頼/0null0で、お礼参りをして回っているAphaea氏の行動を見てると、「ずいぶんと勝手な人」というところです。Danzig 2005年4月22日 (金) 03:21 (UTC)[返信]
私もヤスさんのような疑問を感じることがまれにあります。上でいみじくも指摘して頂いたように利用者‐会話:Trek011でいろいろ迫られたのですが、このような件は何故本文で提起せずに個人ページに言ってくるのか疑問を感じたのと、言葉尻の印象などは文章の流れの中で総体的に把握すべきであり、片言隻句だけを取り出して論じても意味がないと思ったのでお断りしました。またコメントに値しないと思った発言は最初から放置することもあります。しかし、場合によっては言った責任上逃れられないこともあります。ケースバイケースで一律に規則化はできないと思います。また個人の性格の差もあり、この人はこんな人かと思うしかないことも多いのです。ただ、Wikipedia:コメント依頼/Aphaiaの場合は理由も曖昧なまま途中で消えてしまい裏ではガブリエーレさんにメールで終了工作をしていたというのですから、参加者全体に対する背信というしかまりません。途中で打ち切る場合はできるだけ理由をはっきりさせるべきでしょう。(たとえそれが心理的な理由であっても。)そうでないとどのように解釈されても言い訳はできません。Trek011 2005年4月22日 (金) 07:02 (UTC)[返信]

あいもかわらずの暴言ですね、さてYasさんには「失恋なさったことがないのですか」とわたくしからの意見にかえて申し上げます。返事がもらえたほうがうれしいということと、相手が返事をしなければいけない、ということは別のことです。 Danzigさんのご発言についてですが、私だけのことでしたら、とくに何かを申し上げるつもりはありませんでした。ですがMiyaさんがここ数日憔悴されて、それを見るにたえかねましたので、Miyaさんが苦にされておられたもろもろのご発言をなさったかたがたにそれぞれコメントを申し上げました。Trek011さんの暴言、と私は受け止めておりますが、Miyaさんに向けられたものではないにもかかわらず、Miyaさんがおやさしくも苦にされておりましたので、一応はと思いお伺いをいたしました。それについてTrek011さんからまったく有意なご回答がいただけなかったことは残念に思います。--Aphaea* 2005年4月22日 (金) 08:28 (UTC)[返信]

Aphaeaさん、こんにちは。「失恋なさったことがないのですか」とのことですが、Aphaeaさんは議論の相手から望む答えを得られなかった時に、失恋と似た思いになるのですか。議論の場では「意見に代えた何か」よりも「意見そのもの」を頂けたらと思います。Yas 2005年4月22日 (金) 22:19 (UTC)[返信]
返事するしないの話を、失恋に絡めるとはAphaea氏らしからぬダサさがありますな。それはさておき、Miyaさんをスケープゴートに使うのは良くないと思いますが、どうでしょうか?。Trek011氏のページでAphaeaさんが書き込まれた内容は、俺様に対して謝れと言う風にしか解釈できなかったのです。また、Aphaeaさんに対して好意的・弁護的コメントを寄せた方々にも(本当の)お礼をされているようですが、貴殿に反感を持っている人から見たら、派閥作りに勤しんでると解釈もされるでしょう。
それで、Aphaeaさんに提案ですが1~2ヶ月ほどWikipediaでの活動を休止されたらどうでしょうか?あくまで排除ではなく、次のステップに進むためのリフレッシュとしてです。Danzig 2005年4月22日 (金) 09:49 (UTC)[返信]
Wikipedia:個人攻撃はしないに、論争の相手とe-mail で討議を行うことについては一つの手段として挙げられています。今回のコメント依頼を拝見したところ、個人攻撃に走るきらいのある方もおられたようなのでこの対処は適切であったかと思います。--Snow steed 2005年4月22日 (金) 10:41 (UTC)[返信]

批判と個人攻撃の区別 編集

ウィキエペディアは感情の共同体ではないので、恋愛の喩えを持ち出すのは的はずれでしょう。また皮肉や揶揄で他人の神経を逆撫でするよりは明快、明確な表現をすべきだと考えます。自分の都合の悪い批判は個人攻撃、暴言と決め付ける方が多いので、批判と個人攻撃の区別が不明確になっている観があります。管理者には批判と個人攻撃を区別する明確な基準を作っていただきたいものです。Trek011 2005年4月22日 (金) 12:30 (UTC)[返信]

管理者、あるいはWikipediaそのもののあり方についてなにか誤解されているのではありませんか。Wikipediaで基準を作成するのは管理者の仕事ではありません。--Snow steed 2005年4月22日 (金) 12:41 (UTC)[返信]
明確な基準がなく、混乱が生じているとすれば、少なくとも基準作りを呼びかけることはできるでしょう。決定するのは管理者ではないとしてもです。また、Snow steedさんは現在、批判と個人攻撃をどのような基準によって区別しておられるのでしょうか。Trek011 2005年4月22日 (金) 13:43 (UTC)[返信]
明確な基準がなく、混乱が生じているとすれば、少なくとも基準作りを呼びかけることはできるというならば、ご自身でなされば良いでしょう。このようなことは管理者でなくともできるのです、それを理解しないで的外れな質問をしているようでどうするのでしょうか。Aphaia氏は問題の多い方ですが、管理者でもないにかかわらずこういった基準作りに多大に貢献された方でもありました。--Snow steed 2005年4月22日 (金) 14:04 (UTC)[返信]
管理者が呼びかけてはいけないというわけではなし、時間的な問題もあり私がそうしなければいけない義務もないのです。水掛論はやめましょう。Snow steedさんはWikipedia:コメント依頼/Aphaiaにおける一部の発言を「個人攻撃に走るきらいがある」と断定されましたので、どうよな基準を適用されているのかとお聞きしているのですが、、。Trek011 2005年4月22日 (金) 14:25 (UTC)[返信]
そうですね、これは例えばの話ですが「批判と個人攻撃の区別が不明確になっている観」などの主観をもって管理者が自分の望む呼びかけを行わないと批判しながら、自分は時間がないからそういう事はできないと逃げる人が居たとします、私がその人に対して「貴方は身勝手だ」と言った場合は個人攻撃といえるのではないでしょうか。--Snow steed 2005年4月22日 (金) 14:57 (UTC)[返信]
批判?上の発言のどこがSnow steedさんに対する批判なのでしょうか。この件に関して明確な基準をお持ちのようなのでお聞きしているだけなのです。「今回のコメント依頼を拝見したところ、個人攻撃に走るきらいのある方もおられた」と発言されている以上、明確な説明をされる義務はあると思いますが。何の義務もないことについて「逃げる」となじるほうこそ挑発的な発言といわざるをえません。Trek011 2005年4月22日 (金) 15:12 (UTC)[返信]
私への批判などと誰が言いましたでしょうか。ご自身は何もせず、時間がないからできないんだといいつつ、管理者や私やAphaia氏には行動を求め、義務がある、約束を破ったと言い立てるというのは自分勝手だと思いませんか。--Snow steed 2005年4月22日 (金) 15:26 (UTC)[返信]

>私への批判などと誰が言いましたでしょうか

直近のところで言っておられます。

>管理者が自分の望む呼びかけを行わないと批判しながら

この会話にSnow steed以外の管理者は入っていないので、この場合は管理者=Snow steedさんとなるわけです。

>ご自身は何もせず

私は投稿を中心に活動しています。投稿などは「何もしていない」部類にはいるのでしょうかね。夜も遅いし、もはや冷静さを失っておられるようなので、今日はこれで中断します。私が「自分勝手」であるかどうかの判断は党派的立場のない冷静な第三者にお任せすることとします。何か言いたいことがありましたら、書いておいてください。明日にでも回答します。お断りしておきますが、これは対話の拒否でもないし、「逃げる」のでもありません。もう午前0時49分なのですから。Trek011 2005年4月22日 (金) 15:50 (UTC)[返信]

管理者、に当てはまるのは私だけではありません、会話をしてるのが私だけだから=で語るというのは少々強引な理論ですね。また、投稿中心とのことですが、投稿に関しては私もしていますし、ほかの皆さんしていらっしゃいます。管理者というのはそれにプラスしてさらに悪戯への対処や、削除依頼などの最終判断など管理者に与えられるシステム上の機能を使う活動もしているのです。ですから、投稿のみを行うTrek011氏以上に時間がないという事ができると思います。その上でそういった基準づくりを呼びかけるというのは非常に負担になるわけです、そういうことはそれが必要だと感じた方がするべきなのです。にもかかわらず、自分には時間がないからできない事を、呼びかけくらいできるだろうというのはどうなのでしょう。同じように、Aphaia氏がコメント依頼で返答しなかったのを約束を破ったと非難した方が居ましたが、実際にはAphaia氏だって時間が無限にあるわけではないのです、最初の方でもいいましたが、こういった非難をする方と延々話し合いをする愚を避けて、今回コメント依頼をした方と1対1で会話をして事態解決をしようというのも、そのやり方には問題があったにせよ、適切な判断であると思うわけですけれど。--Snow steed 2005年4月22日 (金) 16:16 (UTC)[返信]
なんらかの呼びかけを行う管理者はいくらでもいます。管理者は忙しいのでできないという口実にはならないでしょう。これだけの泥沼を演じる時間はたっぷりおありのようですし。また記事の投稿者、編集者を「何もしていない」と軽視するのは、百科辞典の形成を目的とするウィキペディアにとって有害な傾向といわざるをいません。最後に、Snow steedさんの一連の発言を読み返してみると、「逃げる」、「自分勝手」といったAphaia氏に向けられた非難を私に投げ返すだけの意趣返しであることは明白です。全く困った管理者です。Trek011 2005年4月23日 (土) 01:24 (UTC)[返信]
Trek011さん、こんにちは。Snow steedさんがおっしゃりたいのは、「管理者は忙しいんだから」ということではなく、「(管理者ではなく)必要だと思う人が中心になって下さい」ということだと思いますよ。Trek011さんがお忙しいなら、無理をなさる必要はありません。ゆっくり進めていけばいいことです。問題意識を持たれた方が中心になって、ことを進めていくのが、一番いい方法ではないでしょうか?--すぐり 2005年4月23日 (土) 02:07 (UTC)[返信]
(管理者ではなく)ではなく(管理者に限らず)とするのが正解でしょう。いずれにしても批判と個人攻撃の区別があいまいで混乱を招いている現状をまず認識し、個人攻撃という言葉を批判から逃れる護身符にしないことが必要でしょう。Trek011 2005年4月23日 (土) 02:46 (UTC)[返信]

泥沼的応酬をするのは何うかと思いますが、一応。

「個人攻撃に走るきらい」は「傾向」・「懸念」の語へ置換える事も出来る故、「断定」とは言えない様に思います。又、「嫌い」程度で電子メールへ場を移す事も認められ得る為、今回の件で電子メールを使った事は誤りとは言えないでしょう。--kahusi - (會話) 2005年4月22日 (金) 16:12 (UTC)[返信]

Wikipedia:個人攻撃はしないが定めているのは個人攻撃をする人がいれば、その人とメール通信に移っても良いということです。この場合は事情が違うでしょう。いずれにしても、都合が悪くなれば個人攻撃と非難する傾向はあちこあちで見かけるので、批判と個人攻撃の区別についてはっきりした見解が出ていないのは残念です。Trek011 2005年4月23日 (土) 01:24 (UTC)[返信]

「ウィキペディアンとして相手に対する尊重と配慮が欠ける」などと最もな奇麗事を並べて矛先を問題の根本原因のある者からその者を批判する者に責任を転嫁し摩り替え追及するやり方は被害者人権より加害者人権を重んじる左派系の方と類似していますが、「個人攻撃という言葉を批判から逃れる護身符」にしようとする方が現れた場合、その方に「批判と個人攻撃の区別の基準」を示してもらえばいいと思います。--Bra 2005年5月8日 (日) 09:24 (UTC)[返信]

対話の拒否は議題からの棄権という代償をもって認められる 編集

Yasさんの質問について。通常、対話を拒否した人は、その議題の決定について棄権することになります。対話を拒否した上で自分の考えをおしつける編集を続ければ、そのときはブロックされます。ほとんどの場合、それですむはずです。

もとになったWikipedia:コメント依頼/Aphaiaは特殊なケースです。私の考えでは、良いウィキペディアンは、自分の発言に責任を持ち、言動を違えることはありません。話し合いでは相手を尊重し、対話を拒むために知恵を絞ることはないでしょう。

しかし、このプロジェクトは、選ばれた良い人だけでやっていけるものではありません。既に我々は、ブロックが有効でないケースをいくつも見てきています。問題ユーザーをウィキペディアの敵と認定することには極力慎重でなければなりません。そこで、対話拒否された場合でも、直接の害がないかぎり、見過ごすことを勧めます。気分は良くないでしょうが、それよりましな方法がないのだとしたら、そうするしかないでしょう。

害が記事やプロジェクトに及ぶときには止めなければなりません。また、悪いやり方が「これこそウィキペディアの原則なのだ」と主張されるときには、「そうではない」と言わなければなりません。しかし、多くのユーザーが良きウィキペディアンとして行動できているのなら、一部の人が良くない振る舞いをしていても、全体としての良い雰囲気は保たれます。我々の多くが、「ああはならないようにしよう」と思って行動すれば良いのです。Kinori 2005年4月22日 (金) 13:40 (UTC)[返信]

(Kinoriさんのコメントへの感想というか質問と言うか)それは、例えばXさんがノートページ等で暴言を吐いているのを見つけた場合、「そういう相手だから」と生暖かく見守る、もしくはきっぱりと無視してなかったことにすればいいということでしょうか。かなり根性の悪い対応の仕方のような気がするのですが。そうかといって、Xさんの論争相手の代わりに戦えと言われたら辞退させていただきますが。Tarobo 2005年4月22日 (金) 15:47 (UTC)[返信]
Kinoriさん、こんにちは。私の問題提起に対する直球のご意見、感謝いたします。「対話の拒否は議題からの棄権という代償をもって認められる、対話を拒否しながら自分の考えを押し付ける編集するとブロックされる」というお考えは、ある程度理解できます。この線でウィキペディア参加者の合意ができるのであれば、共通の指針として役に立つかと思います。
しかし、納得できない理由で対話を拒否されるのは不愉快です。同様に暴言も不愉快です。自分でなくても、他のユーザがそれをされているのを目にするのも心苦しいものです。Taroboさんのご指摘のように、そのような対話拒否(あるいは暴言)の現場で、なすすべが無い、というのもどうかと思うのです。それでも全体の良い雰囲気は保たれると思われますか。
「悪いやり方」があちらこちらに残されているのであれば、それを見た誰かが「こんな前例が多数あり、これが原則だ」と言っても仕方がないかもしれません。それに対して「そうではない」と言う根拠がやはりどこかに欲しいと思います。できれば「よいやり方」の指針を決めたい、それは上記の「対話拒否は認められる」と少し違う形は無いだろうかと思うのです。Yas 2005年4月22日 (金) 22:22 (UTC)[返信]
Yas氏、途中から発言をさせていただく事をお許しください。Kinori氏の仰った「対話の拒否は議題からの棄権という代償をもって認められる、対話を拒否しながら自分の考えを押し付ける編集するとブロックされる」という考えは、既にウィキペディアにあって合意がなされ、審議を経て幾多の事例に適用されていると思います。また、皆さまは他者への尊重や配慮を重んじる事を前提としてウィキペディアに参加なさっておられるのであり、Yas氏の仰る「それに対して『そうではない』と言う根拠」は、既にウィキペディア上で数多の箇所に幾度も示されているように思います。
対話を拒否なさる事を問題視する前に、発せられた問いが相手に対して「対話」であると思えるものであるのかが、原因になっているようにも思えます。相手の発言を誤魔化したり、歪曲したりといった事実と異なる前提を掲げ、議論を求めるなどは言うまでもなく論外ですが、一方的に非難を並べたり、揶揄を交えたりといった発言は、発言者が自身の意見を表明しただけのものであり、他者との「対話」を求めたものとは言えないように思うのです。また、「答えない事」は充分な意見表明でもあると思います。それが「答えたくない事」であるのか「答えられない事」なのか、知りたいとお考えなら相手も応じられる形での「対話」を、まず問う側が示す事こそ必要なのではないでしょうか。--Tukasa ryo 2005年4月23日 (土) 05:42 (UTC)[返信]
Tukasa ryoさん、こんにちは。途中から議論に加わることは、全くかまいません。よろしくお願い致します。まずご意見の後半について。ここでは一般論として話を進めたいのですが、Tukasa ryoさんの言われるのは、「対話を拒否された場合、拒否を引き起こした原因は拒否された側にある」ということでしょうか。これを一般化することは無理かと思います。例えば、今ここで私が「Tukasa ryoさんとは対話を拒否します」と言って、以後コメントを全く無視したとすると、Tukasaさんは全く理解できないと思います(実際は理由がありませんので)。そのような態度の問題ユーザがいた場合、Tukasaさんはただ困ると思います。この時に「相手も応じられる形での『対話』を、まず問う側であるTukasaさんが示すべきだ」などというアドバイスは無意味でしょう。ご意見の前半について。なにかウィキペディアの運用方針に関してもし合意がされていて広く適用されているなら、なおのことどこかに明記するべきです。新人が読んでわかる文章、方針に反するユーザに対して端的に指摘できる文章が必要ではないでしょうか。
なお、「対話の拒否は議題からの棄権という代償をもって認められる」という方針について、疑問が生まれました。ある議論で、AさんBさんCさんXさんが活発に議論に参加しているとして、XさんがCさんに対して対話拒否の姿勢をとり、AさんBさんとは会話を継続している場合、このままではXさんは議題からの棄権を代償としていません。Cさんに対する対話拒否は不問とされるのでしょうか。それともXさんの意見を棄権とみなすのでしょうか。Yas 2005年4月24日 (日) 13:43 (UTC)[返信]
Yas氏、ご丁寧にありがとうございます。Yas氏と私は互いを重んじ、まさに「対話」と言えるやり取りを重ねようとしていると思いますが、この時点で仮にYas氏が対話拒否をなさった場合、確かに私は困惑はするでしょうが、まず自らが突然に参加を表明した事の非礼を考えるでしょう。更に、こちらの文言に不行き届きがあったのではとも考えます。私はYas氏を尊重し、あなたと「対話」したいと望んでいますと、尽くせる限り誠実に自分の思いを示します。その上で、「対話」を望まないと仰られるなら、極めて残念ではありますが私にはそれ以上成せる事はありません。ただ、自身の対応に誤りは無かったかと見直し、次こそ正しく対処できるよう考えるための糧にはできると思います。
単に一般論として話を進められるなら、まずそこに記述としてあるものが「対話」である事が大前提でしょう。そして「対話」はそれを望む側が、相手もそれに応じられる形を示さない限り、そもそも「対話」と言えないものだと思います。「拒否を引き起こした原因は、拒否された側にある場合もある」という事なのです。論証が必要とされるような場合、事実と異なる明らかな誤りや、自身の意見や単なる憶測を事実と仮定して論を進めるといった方、あるいは他者への尊重や配慮の見えない、罵倒や誹謗を敢えて言葉に盛り込まれるといった方とは、そもそも「対話」が成り立たない事は、Yas氏もご理解いただけると思います。
Kinori氏の仰った、「対話の拒否は議題からの棄権という代償をもって認められる、対話を拒否しながら自分の考えを押し付ける編集するとブロックされる」は、既にブロック依頼で幾つもの前例が示されているように思います。 新たな参加者の方にお示しになるなら、そちらをご紹介されてはどうでしょうか。
Cさんが、Xさんに対し尊重や配慮を重んじた上で「対話」を求めているにも関わらずそれを拒否し、Xさんの言に近しいAさんBさんとのみ「対話」しているなら「対話の拒否は議題からの棄権という代償をもって認められる」と思います。ですが、Cさんが、Xさんに対し尊重や配慮を何ら示す事無く、上述のようなそもそも「対話」の成り立たない方であった場合「Cさんに対する対話拒否は不問」となって当然と考えます。--Tukasa ryo 2005年4月24日 (日) 16:07 (UTC)[返信]
Tukasa ryo さん、ありがとうございます。Tukasaさんの表明された態度(覚悟)は、Tukasaさんご自身の誠実さを現すもので、見習いたい部分が大いにあると思っています。いざ自分の身に起こった場合にこのような行動を目標にします。それに加えて、自分がその当事者ではなく単に居合わせた場合に何ができるかという点で心配が残りますが、それはやはりケースバイケースで一律に何か決められるものではないのだということでしょうね。Yas 2005年4月26日 (火) 20:49 (UTC)[返信]

議論拒否者への不利益という代償 編集

(インデント戻します)横から失礼します。私は基本的にはKinoriさんと同じ考えですが、代償は議題からの棄権ではなく「現に議論を拒否した言う事実が与える議論拒否者への不利益」という漠然としたものを考えていました。要するに議論を拒否したければしても構わないけど、そのことで生じた一切の不利益は自分で責任を取るべきだと考えます。例えば、相手があまりにも失礼な態度を続けて議論を維持できなければ、私は、無視しても構わないのではないかと思います。ただその「あまりにも失礼な態度」という奴はあくまで本人の主観なわけで、周りの大多数の人間がその対話拒否を妥当なものと思わなければ本人を「都合が悪くなれば対話拒否を行う卑怯な人間」とでもみるでしょう。つまり、対話拒否の原因をいちいち想定せず、周りの判断で相応のペナルティを受けるべきだと考えます。
以上が原則論ですが、同時にほとんどの対話拒否は拒否した側が責められるべきという事実も踏まえて。対話拒否された側に不満が残るのは当然ですし、それをある程度救済するべきだというYasさんの意見も当然だと思います。ですがそれを「この場合には許可し、この場合には許可しない」という類のガイドラインで実現するのはまず不可能だろうと思います。現実的な対処法は自分が対話拒否されたことが妥当かどうかコメントがもらえる場を用意するか「この対話拒否はこういう理由だから、あなたに責はない/あなたはこうするべきだ。」といったコメントを会話ページに周囲が投げるかぐらいでしょうか。今思いつくだけの対処ですが。
私は楽観主義者なもので、ウィキペディアンが自分のことだけでなく周囲やウィキペディア全体のことに常に注意を払っていればほとんどの問題は解決できるのではないかと思ってしまいます。tanuki_Z 2005年4月25日 (月) 01:45 (UTC)[返信]
tanuki Z さん、こんにちは。tanuki Zさんのご意見は、個人的には受け入れやすいものでした。tanuki Z さんのおっしゃる「参加者の行動は参加者自身の評価を上下する」ことをもって納得するべきかもしれません。ガイドラインの類が難しいのは残念ですが、当面は仕方ないでしょうか。個人的には、この辺に自分の着地地点を探そうと思います。ありがとうございました。Yas 2005年4月26日 (火) 20:52 (UTC)[返信]

コトバが通じる相手かどうか 編集

(Yasさんの問題提起について)Xさんが「人間語が通じる(であろう)相手」かどうかにすべてがかかっている気がします。(上に書いた、Kinoriさんへのコメントと矛盾しますが、)「コトバが通じない」相手の場合、逃亡もやむなしかと。お互いの主張は理解できるけれど妥協できない場合は、適度な冷却期間を起きつつ論争の余地のないデーターを使って事実関係つめてゆけば、落としどころが…見つからないでしょうか。Tarobo 2005年4月22日 (金) 15:47 (UTC)[返信]

Taroboさん、こんにちは。我々の目的はあくまでも記事を良くすることであり、必ずしも他の全ての参加者と仲良くするというわけにはいかないのでしょう。記事の改善については、おっしゃる通り、地道に実直にやっていくしかありませんね。不愉快ユーザに対する有効な対処方法があればよいのですが。Yas 2005年4月22日 (金) 22:24 (UTC)[返信]

対応に困った具体例 編集

相手側が論争の余地のないデータマスコミ報道すら否定する場合どうすれば良いんでしょうか?(過去に、ある団体に関する問題で、当初個人HPをソースとして使っていたが相手側が否定、市販書籍にも同様の問題が記載されていたが、『ある団体から抗議が有ったから有用ではない、抗議が有った証拠は貴方が探して来てね』と言う形で否定されました。)また、ある国家が国家レベルで証拠の捏造からロビー活動まで行い、***島は我が国の領土だ、島の一部を不法占拠している◆国は領土を返せ!戦争も上等だ!と一方的に主張してる場合、『国家が認めているから100%正しい、大学や研究機関レベルの反論だから無効、書く必要がない』と言われた場合、どうすれば良いんでしょうか?--まるゆ 2005年4月22日 (金) 16:11 (UTC) 大規模修正--まるゆ 2005年4月23日 (土) 14:14 (UTC)[返信]

一点だけ。その質問にはどのような答えがお望みですか? 本題とあまりにも離れた話題を持ち出しても議論の拡散にしか効果はありません。tanuki_Z 2005年4月25日 (月) 01:45 (UTC)[返信]
まるゆさん、こんにちは。私が判断できないジャンルのお話のようでお力になれませんが、Wikipedia:論争の解決が今のところほとんど唯一のガイドラインのようですね。これでは役に立ちませんか。Yas 2005年4月26日 (火) 20:55 (UTC)[返信]
tanuki_Z氏 そのソースが正しいと言うのを誰が決めるのか?基準は何なのか?です。
Yas氏 ある団体については当面誤った記述でも見なかった事にすると言う方針ですが、次回同様の問題が起きた時に利用しようと思います。--まるゆ 2005年4月27日 (水) 15:31 (UTC)[返信]